性格を変えるのは非効率の極み! 上手く付き合って良さを引き出すべし
「今ある、大嫌いな自分の性格を変えたい!」
なーんて、人間ならばほとんどの人が一度は考えることかもしれませんが……今回はそんな考え方へのアンチテーゼ。
性格を根本から、まーったくの別人にして生まれ変わろうなんて、無茶もいいところ。
正直言いますと、行動とか表向きの部分を変えるのは、実は案外できてしまう事でしょう。が、性格の根本部分をゴッソリ変える事は、おそらく誰にもできないでしょう。
私も根暗な人間ですが、表向きの態度は変われど、その根底は一生根暗なままでしょう。
ならばどうするのか? 上手く良さを引き出すまでです。
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良い悪いなんて人の勝手!
長所や短所なんて、見る人によってコロコロ変わるものです。
あえて悪く言うなら、例えばエニアグラムのタイプ1は堅物で面白みがなく見えるでしょうし、タイプ2は面倒くさいお節介焼きの偽善者です。
タイプ3は貪欲さが下品に見えますし、タイプ4など面倒くさい人筆頭。タイプ5は根暗オタクで、タイプ6は人に取り入る奸臣、タイプ7は頭がゆるくて、タイプ8は自己中の極みと言えますし、タイプ9は自分がない薄っぺらい人間でしかありません。
こんな感じで、どんな人間でも悪く言おうと思ったらいくらでも言えてしまうわけですね。
ですが、じゃあそれらが短所ばかりかと言えば、決してそうではありませんよね。
タイプ1は真面目でストイックな求道者。
タイプ2は献身的で優しい人。
タイプ3ならば、まさに目標に向けてひた走る夢追い人。
タイプ4は個性派のロマンチスト。
タイプ5はまさに頭脳派。
タイプ6ならば慎重で忠誠心に篤い。
タイプ7は何事も楽しむ天才です。
タイプ8は圧倒的統率力とカリスマの持ち主と言えるでしょう。
タイプ9は波風立たない有能な緩衝材と言ってよいでしょうね。
とまあこんな具合に、案外、目線や見方次第で長所や短所は入れ替わってしまうものなのです。
それが自分であれ嫌いな人であれ、「長所なんてあるわけないだろうが!」と考えている人がいるのならば、案外目が曇っているだけなのかもしれませんよ。
仮にそうでなくても、人間には向き不向きがあります。苦手分野を得意に入れ替えるよりは、得意分野……つまり自分の属性や性質に近しい部分を磨けばいいのです。
苦手分野を克服しようという姿勢は立派だが、得意分野を理解しないうちから至らない部分ばかりを克服しようとしてもキツイだけだぞ。
目指す目標があっても、そこに至る手順はたった一つという訳ではない。自分の得意分野を見出し、少しでも可能性のある道から向かったほうがスマートってもんだ
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ダメになると、別の一面が顔を出す
この辺、エニアグラムの面白いところなのですが……実はストレスを過度に感じて弱ってくると、それぞれ、自分の属するタイプとは別のタイプの欠点が顔を出すという統計結果があるのです。
例えばタイプ1の場合、完璧主義のポーカーフェイスがいつもの持ち味なのですが、過度にストレスを受けすぎるとヒステリックでヤケクソな放縦タイプになり、タイプ4の短所が出まくる、とか。
こんな感じで、弱ったときに露出した短所が、そのまま本来の自分のダメな部分に当てはまるとは限らないのが面白いところ。
っても、まあたまたま出てしまった別タイプの欠点も短所と言えば短所だ。飲まれないように、上手くコントロールしていくのが大事なわけだわな
逆に人間的に成長していくと、今度はまた別の一面が顔を出すので、これまたエニアグラムは複雑なんですよね。
タイプ1ならば、楽しさと寛容さに目覚め、楽観主義のタイプ7に目覚める、とか、タイプ2はタイプ4の感受性を手に入れて、相手を尊重すると同時に軽視していた自分の感情にも素直になる……といった具合ですね。
まあこの辺は、まずは自分のタイプの割り出しから始めなければ難しいところではありますが……ともあれ、エニアグラムはタイプ別に完全に固定した区分けをするのではなく、こんな感じで別タイプと絡めたタイプ別の区分けが行われています。
案外、こういうタイプ別にみることで、自分の性格の見つめなおし、ひいては正しい自己成長の方向を見つけ出すことができるかもしれませんよ。
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心の健全性が失われれば、どんどんマイナスタイプに……
心には、健全さの概念があります。
この健全さは主に、周囲の環境によって築かれていくわけですね。例えば、親の愛情、周囲のケア、愛された経験等々……
何とも思い返すと涙が出てきそうな単語ばかりですが……こういった「本来当たり前のもの」をどこまで自分に向けられて歩んできたかで決まる部分が多いです。
心が健全な人間は、こだわりも身構えも少なく、自然体で人と接していけます。心のバランス感覚、対人能力、ストレス対処、すべてにおいて自己流の方法を確立しており、それで人生が上手く行きやすいわけですね。
一方、健全度の極めて低い状況で半ば投棄されて育った人は、当然すくすくと健全に育つのは難しいと言えるわけです。
こうなると、既に育った状況が外敵だらけ。しかも味方もいないに等しい状況のため、自分の身は自分で守らなければ生きていけません。こうなると、自然と心の壁が高く、厚く、丈夫になっていくわけですね。こうして心を閉ざしてしまい、誰も信用しない捻くれた人物が育ってしまうという訳です。
ニヒリズムに目覚めた皮肉屋とか、いつもしかめっ面で楽しくなさそうな奴らとかはわかりやすい例だよな。
DVにいじめに、周囲の大人も面倒だから見て見ぬふりで、「何が何でもお前が悪い」と決めつけられる。
幼少期からくさいものとして蓋を閉められ、その中でクソみたいな人生を歩んできたんじゃあ、素直に育つのがそもそも無理だろうさ
こうやって不健全な環境で育った大人の事を、いわゆるアダルトチルドレンという訳ですね。
こういった人たちは、タイプ事のダメな部分が如実に出ます。例えばタイプ8のような外交的な人物ならば、威圧的で暴力的な典型的不良タイプに、逆にタイプ5のような内向タイプならば完全な引きこもりになっていく……といった感じですね。
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前者の健全な人たちがストレスによって成長していくものなのですが、後者はストレスによってより頑なになってしまう傾向があります。
言うなれば、栄養素とでも言いましょうか……人が育つ上で栄養素は大事なものですが、不健全な人は愛情という栄養素に対して飢えすぎて拒絶反応を起こしている上、ストレスという栄養素に関してはすでに飽和状態なのです。
食べ物を食べ過ぎると肥満や生活習慣病に陥るのと同じように、ストレスばかりの偏った心の栄養配分で不健康になってしまったのが、アダルトチルドレンという人たちなのです。
暴力はダメ、引きこもってても何も変わらない。これらは正論ではありますが、言ってしまえばストレスという栄養の摂取でもあるのです。
心の不健全な人にとってはストレスの過剰摂取にしかならず、言ってしまえば高血圧の人に塩分たっぷりの料理を食べさせて耐性をつけさせようという理論と同等の考え方と言ってよいでしょう。
必要なのは、それよりも愛情。まずは自分のタイプや傾向を知り、それらのベクトルの人間がどう魅力的になっていくのかを考え、愛着を持って育てていくのが一番大事なのではないでしょうか。
自分という人を知りもせずに真っ向から否定したり、変わってほしい人に「お前はクソだからここを変えろ」と言ってみたり……これらは、自分自身、後者においては言われた人間に対して傲慢ともいえる態度でしょう。
いいじゃないですか、少しくらいダメでも。愛情不足の人間は、一刻も早く自分を好きになれるのが先です。
ならば、自分の傾向を理解し、その傾向に沿って進んでいくのが先決。
当然、自分を変えようという心意気はステキかもしれませんが、それが今の自分にとって薬になるのか毒にしかならないのか、今一度よく考えてみてください。
ちなみに、おっさんはコレ見てる途中で「自分を好きになれってこういう意味か」と、そこで初めて納得したのは内緒だぞ!