孫子の教え:第十一 『九地篇』 後編
今回は孫子の兵法、第十一の「九地篇」、後半です。
前回は九地とは何かという点と、戦争上手ならば攻守それぞれでどう戦うかについて述べられていました。
今回は、この九地を活かした戦い方、特に侵攻戦での戦い方について、いろいろと書かれている部分をまとめていこうと思います。
現代社会に攻めの戦の方法を活用するのもなかなか難しいところではありますが……ある種の重大局面、絶対に落とせないここぞという場面においては、応用することも可能だと思います。
というわけで、さっそく九地篇後半、行ってみましょう!
静かにして以って幽く、正しくして以って治まる
前回の「戦上手の用兵は蛇に通じる」といった文章から続き、次の文脈では将軍の仕事、情報統制の大事さに関して言及されています。
作戦内容などの機密情報は必ずしも兵卒に渡す必要のあるものではありません。
しかし、一軍を預かる将軍は、あらゆる情報をしっかりと網羅し、しっかりと吟味したうえで、正確な判断を下す必要があります。そして当然、それらが敵に知れることのないように心がけるのも忘れてはなりません。
また、軍を統制し、上手く操るためには情報操作も大事な仕事の一つです。
例えば一大決戦を繰り広げるときに、兵が安全な退路を理解していたとすれば、決戦前夜に逃亡兵が出るかもしれません。多くの兵がこうやって逃げ散ってしまえば、兵数も不利、逃げ場があることで兵は安心して気が弛む、さらには作戦行動に支障が出たことにより士気も低下すると、まったくもって得がありません。
あるいは、敵の援軍が背後から迫っている情報を兵卒が得た時には、兵士の士気次第では裏切りが横行するかもしれません。
一軍を率いるには、こういった自軍の不利につながる情報を遮断するのも大事なのです。
当然、こいつは視覚情報も含まれるぞ。
例えば脱出用の梯子を背後にぶら下げたまま決戦に臨んでも、退路があるから安心しちまうよな。
こうなりゃ、いわゆる「散地」での戦いと一緒のことだ。
「その行動が大事なことなおならば、それ以外の事ができない状況に追い込む」。
こいつは現代でも、自分に発破かける方法としちゃ最適だぜ!
驅而來 莫知所之
聚三軍之衆 投之於險
駆られて来たるも、之くところを知ることなし。
三軍の衆を聚め、これを険に投ず。
追いやられてはいるものの、いったいその軍がどこに向かっているのか兵卒視点ではわからない。
重地での侵攻戦などの大事な局面では、退路を時に取っ払い、全軍を集めて死地に投げ入れ、全軍で力戦奮闘する。
こういった、軍や組織のプラスになる情報を選び抜き、そしてみんなが一致団結するように仕向けるのが、指揮監督の仕事なのですね。
そのため、九地のような一通りのあり得る状況、進退の判断、人の感情の自然な流れ……こういう情報をしっかりと把握していかなければならないのです。
客たるの道
続けては、戦を九地それぞれの地勢に照らし合わせた解説となっています。
九地の簡単な概要、説明は前半の側に記載していますので、そちらをどうぞ。
敵国に侵攻した際は、深く入り込めば危機を察知し兵も団結しますが、入り込みが浅ければ浮足立つだけで、逃げるのも容易なため簡単に兵は散っていくものです。
国境を越え、敵国に進んだ先は「絶地」という物です。
この絶地の中で交通の要衝となる開けた場所が、諸外国に通じる「衢地」。少し踏み込んだだけの土地が「軽地」、深く入り込めば「重地」となります。
また、前後に険阻な道や隘路に囲まれたような場所を「囲地」、どうにも逃げ場のない場所を「死地」と言うのです。
では、九地それぞれにおける戦い方は、どんなものになるのでしょうか?
散地吾將一其志
輕地吾將使之屬
爭地吾將趨其後
交地吾將謹其守
衢地吾將固其結
重地吾將繼其食
圮地吾將進其塗
圍地吾將塞其闕
死地吾將示之以不活
散地には吾まさにその志を一にせんとす。
軽地には吾まさにこれをして属せしめんとす。
争地には吾まさにその後に趨さんとす。
交地には吾まさにその守りを謹まんとす。
衢地には吾まさにその結びを固くせんとす。
重地には吾まさにその食を継つがんとす。
圮地には吾まさにその塗に進まんとす。
囲地には吾まさにその闕を塞ふさがんとす。
死地には吾まさにこれに示すに活きざるを以ってせんとす。
まず「散地」では兵の心が離散しやすいため、しっかりと意識統一を行う必要があります。
「軽地」では浮足立つため、しっかり固まって部隊間の連携を密にすること。
「争地」は先手が物を言うため、遅れている部隊を叱咤激励して、とにかく早く進むことを重視すべし。
「交地」はとにかく敵味方が通りやすいため、いつ敵が来てもいいように守りを固めるのが孫子流。
「衢地」でひたすら外交にて同盟を結ぶことに腐心。
「重地」は敵地になりますので、食料補給が第一の優先課題になります。
「圮地」のような進軍困難な場所では戦う者ではないので、さっさと通り抜けるのが吉。
「囲地」では進退の難しく、敵も逃げ道を確保して戦うはずなのでその道をふさいでやるとよし。
「死地」においては、とにかく力戦あるのみ。力いっぱい戦わなければ生き残れないことを全軍に表明します。
特に死地における号令は、味方の士気は否が応にも上ります。戦わなければ生き残れないなら精いっぱい戦いますし、極端に危険な状況下では命令に従わざるを得ないため嫌でも従順になる。
こういった「状況」をうまく使った戦いが、戦争での重要項目の一つなのですね。
戦場の地形は、基本的に複数の地勢の詰め合わせだ。ちょっと動けば軽地が交地にだとか、囲地が争地にといった具合に地勢が変わることもままだ。
戦争は、ずっと一つの土地に留まってするもんじゃない。
だからこそ、地勢によって戦い方を変えるためにいろんなことを知っとかなきゃならんわけだな
地形がわからなければ行軍は厳しく、外交するにも諸侯の腹積もりをきちんと理解しておかなければ難しいですし、土地勘なくして地の利は得られません。
四五者不知一 非霸王之兵也
四五の者、一も知らざれば、覇王の兵には非ざるなり
孫子は、上記の原則の一つでも知らないことがあるなら、それは覇者の軍にふさわしくないと述べています。
時として常識の範疇を超えた褒賞や、一般的な価値に当てはまらない禁令を掲げるのも良いでしょう。一般の価値観から逸して価値ある賞罰を行える軍勢は、人一人を操るような感覚で大部隊を操れるでしょう。
兵に命令を下すときは、有利な面だけを教え、不利な面は教えないのもよいでしょう。理由や害など不必要な事を教えれば、それだけで形勢が不利に傾くこともままあるのです。
投之亡地 然後存
陷之死地 然後生
夫衆陷於害 然後能爲勝敗
これを亡地に投じて然る後に存し、
これを死地に陥れて然る後に生く。
それ衆は害に陥れて、然る後によく勝敗をなす。
誰にも知られずに軍隊を死地に投げ入れてこそ滅亡を免れ、生き延びることができるのです。
兵士たちだって人間です。必要でなければ殺し合いなどしたくはありませんし、死ぬ可能性のあるような出来事などまっぴらごめんです。
だからこそ、生きるか死ぬかの瀬戸際でこそ本気になって戦い、そこで初めて勝利を得られるというわけですね。
始めは処女の如く、後は脱兎の如し
戦場に必要な物は、まず何より正確な情報把握です。
戦う前から敵味方の集めて、しっかり廟算して勝ち目を探るのが先ず何より大事。
その後、敵が隙を晒したところにすかさず攻撃を加え、急所を第一目標にして、しかもそれを敵に悟られないように注意し、そして敵の動きに合わせて変幻自在の用兵を以って敵の虚……柔らかい部分を攻め落として初めて一勝となるのです。
そこで、孫子は勝つための策謀を以下のように述べています。
故始如處女 敵人開戸
後如脱兎 敵不及拒
故に始めは処女の如く、敵人、戸を開き、
後に脱兎の如くにして、敵、拒ぐに及ばず。
始めは処女の如く……つまり、静かに、それでいて弱々しく見せかけて敵軍を油断させ、敵が油断して隙を晒したところに脱兎の如く神速の攻めで一点突破してしまえば、敵は対処しきれないというわけです。
兵は極力いざという時まで疲れさせず、敵の隙を待つ。然るのち、好機が来れば即行動。しっかり休ませて気力十分の味方をすかさず死地に追いやって、死力を尽くしてあっという間に勝利を決める……
こういう勝ち方が、孫子の理想形態なのですね。
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