呉子:四章  『論将』 前編

呉子:四章  『論将』 前編

 

 

 

呉子も現存資料の中ではいよいよ折り返し点。

 

『論将』編では、兵ではなくそれらを統べる将の心構えと、敵に合わせた戦い方について述べられています。

 

 

今回は、まず将たる者の心構えから先に見ていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

死の栄ありて生の辱無し

 

 

 

 

 

世の中、いついかなる時もわかりやすい結果やいかにもそれっぽい資質を重視しがちです。

 

例えば、呉子が述べている中では「将軍の勇気」という一面ですね。

 

 

これは本来、数ある資質のうちのたった一つに過ぎない要素なのですが……困ったことに、大半の人はこれ一本がすべてだと信じて疑わないわけです。

 

そしてこの価値観の通りに勇気一本で採用された将軍は……残念ながら知恵が足りず、いついかなる時も戦う事ばかり考え、利害も戦う理由も深く考えずに戦う道を選ぶのです。これでは、将軍として褒められたものではありません。

 

 

 

夫総文武者 軍之将也
兼剛柔者 兵之事也

 

 

夫れ文武を総ぶるは、軍の将なり。

 

剛柔を兼ぬるは、兵の事なり。

 

 

 

将軍ならば、文武両道。つまり、武力や勇気だけでなく、知力などの“文”の面も含めた総合力が最終的な能力になりますし、戦争は剛柔合わせて戦わなければ勝てません。

 

 

胆力だけに任せて正面突破ばかりを狙っても、勝てるものも勝てないわけですね。

 

 

 

例えばスタンドプレーで勝利をつかむのもラッキー勝利と言ってしまえばその通りで、次も同じことができるとは限りません。

 

鮮やかな知略も、超人的な能力ではなく、柔をもっての地味な戦い方の集大成です。

 

 

 

持てるすべての力を使って覚悟を胸に戦うというのは、何も正面突破のゴリ押しで勝てという意味ではないのです。

 

 

 

 

 

 

将の五戒

 

 

 

知勇、剛柔を合わせて戦う。そう断言した上で、呉子は将たる者の心構えを五つ述べています。

 

 

まずは「理」、次に「備」、そして「果」、「戒」、「約」。

 

 

 

それぞれの意味合いは、以下にある通り。

 

 

どんなに大勢の部下がいても、小勢をまとめるように統率することができること。
ひとたび門を出ると、どこでも敵だらけであるというつもりでしっかり構えること
戦い始めれば制に執着せず、覚悟を決めること
勝って兜の緒を締めよ。どれほど優勢になっても、油断せず緒戦の緊張感を失わないこと
形式的な法則、手続きの簡略化。必要以上にゴテゴテせず、合理的に無駄を省き、規則などを簡素化すること

 

 

 

呉子の戦争観は言ってしまえばかなりシビアなものです。

 

 

「将たる者の礼は、家族にも知らせず家を出て、戦いに勝つまでは家の事を一切口にしないことである」

 

 

 

普通の仕事や会議、出張とは違い、戦争は命のやり取りです。死の危険は戦場ならばどこにでも付きまとう分、相応に恐ろしいほどの覚悟が必要だったのかもしれませんね。

 

 

故師出之日 有死之栄 無生之辱

 

 

故に師出ずるの日、死の栄有りて生の辱無し。

 

 

戦争において、死によって得る名誉はあっても、生き恥を晒すことはあってはならない。上に立つとは、これほどまでに過酷な事なのですね。

 

 

 

 

 

 

 

命令手段

 

 

 

 

 

命令や指揮系統というのは、元来上から下へと効率よく命令を伝達するために整えるものです。

 

が、悲しいかな、古来より上層部は命令系統を形式重視で決めて、それっぽく威厳ある風に作ろうことに目が行きがちです。結果、意味の分からない形式やそもそも何の意味もない儀礼ばかりが出来上がり、かえって指揮系統を混乱させるケースもしばしば見かけますね。

 

 

 

呉子は、そんな無意味な恰好ばかりの命令系統にも警鐘を鳴らしています。

 

 

夫鼙鼓金鐸 所以威耳
旌旗麾幟 所以威目
禁令刑罰 所以威心

 

 

夫れ鼙鼓金鐸は、耳を威す所以なり。

 

旌旗麾幟は、目を威す所以なり。

 

禁令刑罰は、心を威す所以なり。

 

 

鳴り物は音で耳を介して命令送る手段である。

 

旗や幟は、目視で命令がわかるようにするためのものである。

 

刑罰は兵の心に訴えかけて命令に従わせるためのものである。

 

 

こういった、「なぜその命令系統や指揮系統を使っているのか」という原則を忘れてはならないのです。

 

 

ハッキリわかりやすく聞こえてなんぼの鳴り物は音をハッキリさせるべきですし、旗の類は見えやすいように目立つ色を使うべきです。

 

また、刑罰を厳しくするのは、命令系統を絶対化、浸透させるためであり、それ以外の目的は原則必要ありません。

 

 

 

この辺りの事実がハッキリしていなければ、国や組織が栄えても一過性の物で終わり、どこかで敗北、滅亡するでしょう。

 

何事も見せかけは大事と言えども、原則を違えてはそれ以前のところで止まるのです。

 

 

 

 

名将が指図すれば部下はそれに必ず従い、名将の下知があれば部下は死を恐れずに進む。

 

 

この原則は、こういった命令系統の厳粛化、合理化によって支えられているのだろうな


 

 

 

 

 

 

凡そ兵に四機有り

 

 

 

呉子が言うには、戦争にはおおよそ四つの要があるとのことです。

 

 

まず心の要、そして地の要、作戦の要、最後に力の要。

 

 

 

例えば戦争は集団で戦う物であり、その強弱は大将の意気込みにあり、これが士卒にも伝われば意気はどんどん上がっていきます。これこそが心の要と言います。

 

 

地の要は、文字通り地の利の事ですね。例えば隘路のような天然の要害は大軍の利を生かしづらく、大変攻めにくいです。条件さえあれば、数十人で千万の兵を撃退することも不可能ではありません。

 

 

 

また、作戦の要は、巧みな諜報活動によって情報を掴み、分断や内部分裂などを使った“敵に全力を出させない戦い”にあります。

 

 

力の要は、そのまま兵の力量、練度の差ですね。兵をしっかり訓練し、備品を完璧に近い形に整えて十全の力を出せるようにしておくと、純粋な力比べでは負けません。

 

 

 

 

心、地、作戦、力。これらの要を完全に理解しつくしてこそ、初めてそれを将と呼べるようになるのです。

 

 

 

しかし、これだけではまだ不足。

 

 

 

呉子はこの上で、の四つを備えていることも統率者の肝として述べられています。

 

 

威徳によって部下を統率し、仁愛によって民を安んじ、勇敢に問題に立ち向かい、的確な判断で迅速に片付けてしまう。

 

 

その人がいる間は強いものの、いなくなってしまえば組織や国が弱体化する……こんな指導者の事を、良将と呼ぶのです。

 

 

 

 

 

ちょっと別の話だが……為政者ってのは下から畏怖されると同時に愛されるような奴が最強なんだと。

 

こういう人間が、仁徳と威、そして勇を兼ね備えた傑物なんだろうな





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