孫子の教え:第七 『軍争篇』 前編
さて、孫子の兵法13の教えも、ここでいよいよ折り返し地点です。
今回は軍争篇。
孫子においては、戦いは「機先を制し、その上で勢いのままに敵を追い散らす」という王道の必勝パターンを説いています。
今回はその中で、「機先を制するための留意点」を、主にこの軍争篇で述べています。
迂直の計
孫子の言う「軍争」とは、つまるところ「機先を制するための戦い」を説いています。例えば、これまでの六篇にも述べられているような、「戦う前から勝つ」為の主導権争いのことですね。
おおよそ戦いは、将軍が主君から命令を受け、軍を招集して軍備を整え、戦地へ向かい両軍対峙するまでの間で主導権の有無が決まります。
そして孫子は、「この主導権争いこそが重要で、そして一番難しい」と記述しています。
特に難しいのは、敵に有利な戦地に向かう羽目になったとき。
こういう場合に主導権を握るというのは、遠路を近道して素早く駆け抜け、本来敵に有利な地形を自軍有利に傾けるようなものです。当然、普通にやったのではとうてい有利な場は作れませんし、その分勝ち目も薄れます。
そこで、戦争上手は以下のような手を使うのです。
以迂爲直
迂をもって直を為す
あえてもたついて油断させ、さらには利益で敵を釣り出して撹乱し出鼻をくじく。
こうやって後出しで軍を進めながらも、敵がもたついてくれるので、こちらの方が戦場に早く着くことができるというわけです。
この辺りの利害駆け引きは、虚実篇でも述べられていますね。
実は軍争篇と前の虚実篇は連動して1セットになってる。
虚実篇に則って敵の利害や防備を知り、進軍ルートを決め、その次に主導権をいかに握るかを述べてるのがこの軍争篇ってわけだな
戦争は利益と同時に、損害やリスクも生みます。それに完勝するには、やはり主導権の有無はしっかり理解しておくべきでしょう。
かといって馬鹿正直に進んでも敵のほうが早く到着することもあるし、強行軍では今度は輸送がままならない。軍備を捨てて裸で走ってもたどり着ける者はごくわずか。さらに肝心な戦争部分で武具装備の差が如実に出て敗北必至。
こんな感じで、正直に競争してもまともに勝つのは難しいわけです。
こういう問題をうまく解決できるかどうかが、戦争上手かどうかの分かれ目になるわけですね。
ちょこっと解説
馬陵の戦い
迂直の計と言えばこれと言われる戦い。
孫臏(ソンピン)と龐涓(ホウケン)という二人の人物は同じ師を仰ぐ同門で士官先も魏(ギ)の国で一緒だったが、龐涓は自身が孫臏より弱い事に嫉妬して、讒言によって足を切り落とす刑罰に処した後、孫臏を魏から追放されてしまった。
結局孫臏は他国に仕えることになったが、後日、魏の侵攻に怯える他国からの要請を受けて魏の領内に進攻。
この時、孫臏は十万のかまどを用意させましたが、その数を後日には五万、次の日には三万と数を減らしていきました。
かまどの数が減っている=相手の数が減っているに違いない。魏軍にそう思わせて油断させる作戦だったのだ。
この時の敵将は、因縁の相手・龐涓。
この策によって龐涓が動き出したのを知ると、孫臏はその進軍速度から馬陵(バリョウ)の地を通過すると踏み、前もって兵を伏せて待ち構えた。
そして何も知らずにやってきた龐涓にめがけて伏兵による一斉射撃を仕掛けて龐涓軍を壊滅させ、龐涓本人もこの戦いで自害。
足を失った恨みをその命で返してやったのである。
兵は詐を以て立つ
敵地で機先を制する難しさについては、先述の通り。「迂を以って直と為す」。これができるかどうかが、まさに難しい戦争に勝てるかどうかの分かれ目になるでしょう。
そのためには、敵をうまく欺くような動きをとる必要があるわけですね。
そこで、必要な物は何か……ズバリ、情報です。
故不知諸侯之謀者 不能豫交
不知山林險阻沮澤之形者 不能行軍
不用郷導者 不能得地利
故に諸侯の謀を知らざるは、預め交わること能わず。
山林、険阻、沮沢の形を知らざる者は、軍を行ること能わず。
郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。
周辺勢力の狙いや動きを知らなければ、味方に引き込むことは不可能でしょう。
山林や険しい山地、沼などの地形がわからなければ、思い通りに軍を勧めることはできません。
土地勘のある者を使わない(使えない)のであれば、地の利を得るのは不可能でしょう。
と、こんな具合で、情報不足のままだと、諸外国は敵に回り、険しい土地や迷いやすい地で散々疲れ果て、やっとのことで敵とぶつかったときにはまともな戦いにならなず、成す術もなくあっさり敗走……そんな状況に陥る可能性すらあるのです。
そもそも戦争の根幹は、敵を不意打ちして欺くことにある。
スポーツマンシップにのっとって行う競技との絶対的な違いはこれだな。
敵の不意を突けば、驚いた敵は混乱する。裏をかいて上手く撹乱すれば、それだけ相手の陣形や防備は崩れて力が発揮できなくなる。
戦争ってのは所詮騙し合いの世界なのさ
風林火山
戦の本分は騙すことにあり。というわけで、必要なのは、戦場の空気、利害によって分散したり集合したりと変化していくのが重要とのこと。
と、ここで孫子は、ある有名な言葉を例えとして残しています。
其疾如風
其徐如林
侵掠如火
不動如山
その疾きこと風の如く
其の静かなること林の如く
侵掠すること火の如く
動かざること山の如く
と、武田信玄で有名な風林火山ですね。実はこれ、もう2つほど例え残っていまして……
難知如陰
動如雷震
知り難きこと陰の如く
動くこと雷の振るうが如く
と、風、林、火、山、陰、雷の六つを引き合いに、変幻自在の軍のありようを表しています。
敵が対応できない風のように素早く動き、かと思えば不気味に静まり返り、攻撃は烈火のごとく激しく、守れば不動の山のように落ち着いてどっしり構え、暗闇のように敵に感づかれず、雷のような怒涛の動きを見せる。
兵糧を奪う時は分散し、土地を奪う時は要衝に兵を置き、臨機応変、万事にしっかり見積もりを立てて行動する。
「迂直の計を知る者は勝つ」
敵に先んじて変幻の動きを見せ、迂回路を逆に近道とすり替える……こんな魔術的トリックを可能にする策を用いた側が、戦争において必ず主導権を握るのです。
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