エニアグラムタイプ6:囚われは「不安」

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囚われは「不安」

 

 

 

タイプ6は何かしらの拠り所を求めるタイプ。

 

例えば大きな力であるとか、信頼できる友人であるとか……とにかく、「安心安全で隙のないもの」を求める傾向にあるのがこのタイプの特徴です。

 

集団にしっかりと迎合し、自己主張控えめな「従属タイプ」のタイプ6は、日本人の大多数を占めるのではとも言われるほど、言ってしまえば日本人的な人物グループです。

 

 

そんな人たちの抱える囚われは「不安」。将来に対する漠然とした不安から守ってもらえる強くて公正な集団を求めて生きる人物。

 

「寄らば大樹の陰」のようなタイプですが、大樹への不信感が爆発すると、大胆な行動に移ることも……

 

 

 

 

 

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安心安全、これ大事!

 

 

 

 

タイプ6にとって、「安定して強いしスゴイ」は特に重要な項目です。

 

言ってしまえば、最初から最後まですごい人。複数の物事を平均して見た時にそつがないアベレージヒッター。こういう人たちに憧憬を抱き、そういう人たちについて行くことを理想とするような生き方が理想ですね。

 

 

自分も「一芸特化」よりも「欠点らしい欠点が無くて全体的にすごい」を目標としてコツコツ頑張るので、要領や段取りというものにも隙がありません。

 

また、責任感や仲間意識が強い人が多いのも大きな強みですね。反面放任されると「見捨てられた」と不安になることも多いので、チームワークが試される事が一番重要でしょう。

 

 

 

さて、そんなタイプ6は、常に心のどこかに不安を抱えているものです。

 

 

タイプ6の人たちは、基本的に自分に自信がありません。だから強い者の援助を得て、安心してしっかりした地盤を進みたいと思っているのです。

 

強い力によりかかりたい願望、それに迎合して忠誠を尽くす姿勢、常識やマナーを重んじる風潮……いずれも日本人の特徴ともいえる物ですが、これこそタイプ6の不安そのものの表れという見方もできるのです。

 

 

 

タイプ6が安心する要因は主に3つ。

 

 

1.強いこと

 

2.型にはまっていること

 

3.一貫性があること

 

 

この3つです。

 

 

とにかく自分を無能であるかのように錯覚しているため、自分の代わりに決断、行動してくれる安住の堅固な基盤が欲しい。その思いからこれらを探しさまよっているわけですね。

 

そのため、組織や集団に好かれようとする気持ちは人一倍。「これだ」と思った人には無二の忠誠をささげ、時には妄信的・依存的なまでに信頼することも。

 

 

反面、不安に思うところが大きいようならば、今度は別の大勢力や信用できそうな人に靡き、それでもダメならまた別のところに……といった具合に、いまひとつ不安が解消されないようならば次々と居場所を変えることもあります。

 

 

 

そんな不安から忠誠と不信という二面性を常に持ち合わせ、信頼すると同時にどこかで不信の目で見たり、内心は無力感と不安でいっぱいいっぱいで、その気持ちを静めるためにより弱い者をいじめたり……とにかく二律背反的な素養を強く持っているタイプですね。

 

 

 

信頼できるものは信頼する。無二の忠誠を尽くし、優しく迎え入れ、尊重する。

 

逆に実績のない物、過去に汚点がある物、相容れない物……とにかく自分の安心を少しでも脅かしそうな不安要素にはとことん冷たい。

 

 

そんな感じの人たちですね。

 

 

 

 

 

 

 

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健全度による違い

 

 

 

レベル1 自分の本心や本音に覚醒。

 

「他人の庇護を受けないと生きていけない自分」とおさらばし、他ならぬ自分自身を新たな支えに、正直に生きる。自信を手にした分勇敢であり、不安に対して真っ向からぶつかっていく。

レベル2 フレンドリーで誠実なため、非常に信頼できる人物となる。焦点は周囲によく行くため、人との接し方やアドバイスなどもそつがない、デキる人。

 

しっかりした支えがあるため、危機に対しての警戒は怠らないもののどっしりしていて安定感がある。

レベル3 責任感と節度があり、周囲と協力して「みんなに有益なシステム」を作ろうとする。

 

細かい気配りや連携を大事にする協調性の鬼で、今後起こりうる問題を予見する危機予測能力にも優れる。

レベル4

忠実で責任感の強い人物。独立心と自己無能感からくる不安の板挟みはここから表面化。

 

自分を助けてくれる人に対して忠誠を誓うが、本当に助けてくれるかはやっぱり不安。概念への信認を強め、ルールや思想、哲学に助けを求め、それに従おうとし始める。

レベル5 これ以上自分にプレッシャーが集中しないよう、強そうな人や助けてくれそうな人に付き従う。防衛的で従順。また、排他的になりつつもある。

 

しかし内面では不安や猜疑心、悲観的な感情が渦巻いており、衝動性や叛逆心が芽生えることも少なくない。上の命令にはとりあえず従うが、心のどこかで「お互いの心を通わせるのは無理なんじゃないかな」と思い始める。結果、自分にとって納得ができないと反抗することもある。

レベル6 自己不安と「実は助けてくれる人は減ってきているのでは」という不安から、どんどん権威志向に流れていく。権力者に気に入られなければ、どうにかしなければという焦りに苛まれ、自分をよく見せるための虚勢やライバルを貶める讒言に注力することも少なくない。

 

反応はオーバーになっていき、他人に対してもどんどん攻撃的で無慈悲になる。責任転嫁や差別、偏見などを使って他者を攻撃し、自分の不安をかき消そうと躍起になる。

レベル7 猜疑心が爆発し、自信がどんどんなくなっていく。また不安も被害妄想じみた極端なものになりつつあり、それらが爆発してパニックを起こしやすい。

 

他罰すら逃避の道具にならなくなると、次に向かうのは自罰感情。「他ならぬ自分の行いが安定を害し、自分の人生を辛く危険にしているのでは」と考え始める。

レベル8 必死過ぎるあまり、本来欲しかった安定は逆に遠のいていく。「人に自分のわずかな安全すら壊される」という考えに行きつき、パラノイア……つまり被害妄想の塊のような考えに行きついてしまう。

 

自分の強大な不安や自罰から逃れるため、人を非難し、攻撃し、本来存在もしない敵と激しく戦い続ける。自分の嫌いな考えや気に入らないものには激しく食ってかかり、もはや自分でも何がしたいのかわからないほど徹底的に攻撃しようとする。

レベル9 行き過ぎた他罰感情は最後は自分に返ってくる。「自分の行いのせいで強者に目をつけられ、罰せられる」という、このタイプにとって死刑宣告に等しい感覚を嫌というほど自覚させられる。

 

ここまでくると、後は攻撃できるのは自分だけ。罪悪感や自己嫌悪を嫌というほど味わいつくし、自分で自分を罰し始める。絶え間ない自己破壊と自己懲罰の中で自殺していく者も少なくない。

 

 

 

 

周囲の期待に応える。人から信頼され、相互に助け合うことで前に進む。そんな考え方が、良くも悪くもタイプ6を形作っています。

 

自己無能感とそこから出る不安が、このタイプのキーとなるわけですね。

 

 

だからこそ人と歩調を合わせ、協調合力して物事に打ち込めるのですが、それが行き過ぎると不安ばかりが先回りし、自他のどちらかを非難しなければ気が済まないようになってくるというわけです。

 

 

 

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「誰かに導いてほしい、決めてほしい」。特に地震の無さからこう思い始めると危険です。

 

 

自信の無さから人に依存し、妄信し始める合図になります。

 

仮にそこで妄信しても、おそらく「本当にその人が正しいのか」「その人は自分を見てくれているだろうか」という不安と「妄信しなければ生き残れない」という二律背反にすりつぶされてしまうのは必至。

 

 

 

何か起きても深呼吸して落ち着いて、どっしりと構えておきましょう。案外、焦る必要のある決断はそう多くはないです。

 

下手にあれこれと先の事を思うのではなく、いっそ今できていることややっていることを見てみるのもいいでしょう。

 

 

 

あと、何か心を落ち着かせられる趣味を持つのも面白いですよ。無理をせず続けられて、何か落ち着けるものを見つけ出すと心が洗われます。

 

 

 

とにかく、何かをきっかけに自信が持てるようになれば、いい方向に物事は進むはず。まずは自身の「杞憂」を捨て去る方向から考えてみましょう。

 

 

 

・とりあえず目の前のことに集中してみる

 

・不安を覚えたら悩むのではなく、いったん落ち着いて「現実確認」をしてみる

 

 

 

さしあたって、この辺りから始めてみてはいかがでしょう? 先のことなどわかりません。だからこそ備えたくなる気持ちはわかりますが、杞憂に振り回されて今がダメになってしまっては、未来はいっそうくらいでしょうからね。

 

 

まずは怒りや焦りを感じたら自身の不安と向き合い、杞憂かどうかを冷静に判断してみましょう。


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