このエントリーをはてなブックマークに追加

呉子:六章  『励士』

 

 

 

呉子兵法、現存するもののうちの最後の一章は、「励士」。文字通り、士を励ますという物です。

 

 

 

ここは本来はエピソード形式になっているため、あんまり要約抽出という部分は見かけませんが……まあ、このサイトの要約は、趣旨としては「わかりやすく、現在に代用しやすいように」というのを重視してますので、相変わらずバリバリ要約していきますよ。

 

 

今回は、言ってしまえば「普通に使っても成果の出ない無能をどう扱えばいいのか」という点でしょうか。

 

 

現代社会では少しでもできないことがあれば無能と定義されることも多々ありますが、そういった人間の才能を引き出してやれば、あるいは並々ならない爆発力を発揮することも……?

 

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

功無きをば之を励ませ

 

 

 

 

武侯は呉子に対し、「信賞必罰は勝利を決定づける要素なのか?」と質問しますが、これに対して返ってきた呉子の答えは、「否」

 

つまり、賞罰自体が結果を決める要素ではないと述べています。

 

 

夫發號施令 而人樂聞
興師動衆 而人樂戰
交兵接刃 而人樂死

 

 

夫れ号を発し令を施して、人、聞かん事を楽しみ、

 

師を起こし衆を動かして、人、 戦わん事を楽しみ、

 

兵を交えて刃を接えて、人、死せん事を楽しむ。

 

 

1.君主の命令には喜んで服従する

 

2.動員命令を出せば喜んで戦場に向かう

 

3.敵と刃を交えれば喜んで命を投げ出す

 

 

この3つの要素がどうなっているかで、戦争での勝敗は決まります。

 

 

 

現代風に言うと、みんなが喜んで指示通りに動き、気怠そうにではなく喜んで仕事を行う。この姿勢をうまく作っていくのが、全員の力をしっかりと引き出すのに必要な要素なのです。

 

 

 

そのためにはどうすればよいのか?

 

 

 

功績を上げた者を褒め称えるのはもちろん、功績のない者に対してしっかりと激励の言葉をかけるのが大事という訳です。

 

 

 

 

何のケアもせず、褒めも励ましもしなくても勝手にフルパワーを出してくれる人材が欲しくなってくるよな?

 

 

だが残念。はっきり言おう。そんな奴まず居ない


 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

さて、これらの進言を受けた武侯は、さっそくとある方法を実施しました。それは、功績による格付けです。

 

 

まず、功績を上げた者は最前列の特等席で、上質な料理と器で盛大にもてなして家族にも土産を持たせたのです。

 

 

次に功のある者は少し劣った器で、さらに下の者にはもう一つ劣った器で……といった具合で、最後列には功績のなかった者が座るようにして、武侯は戦勝の宴を開くようにしました。

 

 

 

さらには戦没者の家には毎年弔問の使者を出して家族をねぎらうのも忘れなかったのです。

 

 

このようにして三年の月日が経つと、いつしか魏の兵たちの中には自主的に武装をして戦場に向かう者が、数万にも上るようになったのです。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

 

人に短長有り、気に盛衰有り

 

 

 

 

 

さて、功績によっての格付けは非常に合理的な能力主義ですが、これならばどうしても、戦場で活躍しやる気を出すのは、元々武勇に長けた者や気力が絶好調の者ばかり。

 

 

武芸が得意でない者や、たまたま気力のスランプ状態に陥っていた者が、結局認められることなくズルズルと落ちていくことも中にはあります。

 

 

なんだか、どこかから「そんな雑魚は必要ないから野垂れ死なせればいい」みたいな声も聞こえてきそうですが……彼らをも上手く扱わなければ、一つの組織は成り立ちません。

 

個人的意見ですが、完全なる修羅の軍は、最終的に振り落とされないor自分がさらに上に行くために、人々は足の引っ張り合いや讒言大会が始まるのがたいていの末路です。

 

 

 

 

「功のない者を励ます」とは、まさしく、こういった実力を発揮できない「無能」な面々にもやる気を出させ、その能力を十全に発揮させるという事を指しているのです。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

 

例えば死に物狂いの人間がナイフを振り回して暴れている場合、周りにいる人々はなかなか怖くて行動できません。何十人もが束になって押さえつければ死人は出ても被害は抑えられるのに、死にたくないからみんなそういう人間から逃げていくわけです。

 

戦争においては、全軍でこの場合における「死に物狂いでナイフを振り回す危ない人」になってしまえば、向かうところ敵なしなのです。

 

 

そういった面々を作るために、呉子は功績の無い兵士を五万人集め、以下のような演説をしたと言われています。

 

 

諸吏士當從受敵車騎與徒
若車不得車 騎不得騎 徒不得徒 雖破軍皆無功

 

 

諸の吏士当に従いて敵の車騎と徒とを受くべし。

 

若し、車、車を得ず、騎、騎を得ず、徒、徒を得ざる時は、軍を破ると雖も皆功無し。

 

 

「各々、己の分担、領分を全うせよ! 戦車は戦車を、騎兵は騎兵を、歩兵は歩兵を討て! これが出来なければ、戦争に勝ったとしても戦功と認められることはない!」

 

 

 

要するに、それぞれの役割をきっちり決めて、自分たちのやる事だけに集中させるように仕向けたという訳ですね。

 

人間、やることが明白でクリーンになれば、それだけそこに集中するわけですね。また、「功無し」というのも、後から言うのではなく先にしっかり宣告し、それぞれの領分以外を見ないように発破もかけているわけです。

 

 

 

「功無し」だけに意味があると思ったら大間違いだぞ。

 

 

気力の足りない無能にやる気を出させる最初のステップで重要なのは、厳しさではない。

 

叱責や叱咤より、まずはやることをしっかりはっきりと提示してやるのが先だ。

 

 

ここをはき違えた奴に、まともな人の運用はできないと思ってよいだろう


 

 

 

こういった言葉をかけ、やるるべき事だけに集中するよう仕向けられた軍は、数倍という数の敵軍を見事撃破し、世間を震撼させるに至ったと言われています。

 

 

何も陽の目を見ない=無能という訳ではないのです。

 

 

それぞれの適性や長短、領分をしっかりと把握し、的確なポストの中だけで、得意分野だけに集中させれば、自ずと完全な無能はいなくなるものです。

 

 

呉子 兵法 励士 激励 特大のお説教


  このエントリーをはてなブックマークに追加

トップへ戻る