呉子:三章  『治兵』 前編

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呉子:三章  『治兵』 前編

 

 

 

 

 

兵を治める。つまり今回は、軍法だとか兵の統率だとか……そういう関連の話ですね。

 

戦争であれ企業での組織運営であれ、下っ端の士気やしっかりした統率というのは、いつの時代でも多大な効力を発揮するものです。

 

 

自己都合ばかり掲げて人を一切労わらなければどれほど強い洗脳を施しても全力を引き出すには到底至りませんし、優しさ一辺倒で罰するべきタイミングで人を罰しなければ、人はやることを人に押し付けたり「どーせ許される」と役割を放棄し始めます。

 

当然、賞罰に関して私情が入りまくっているなら、それも人のやる気をそぐ原因となるでしょう。

 

 

その辺りの難しい塩梅については多くの兵法書でも述べられている部分で、呉子にもしっかりと、それら専用の章が立てられています。

 

 

 

 

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人をして戦いを軽とせしむ

 

 

 

 

 

四軽、二重、一信。呉子が説くには、これが用兵の基本だとされています。

 

 

まず、地が馬を軽く感じ、馬が引いている馬車を軽く感じ、車が人を軽く感じ、人が戦いを軽く感じる。これが、呉子の説く「四軽」の部分ですね。

 

 

地形をよくよく見極めて走りやすい場所を走らせれば、馬が大地を走破するのは容易になります。そしてその馬がきちんとした飼料を使って大事に育てられていたのならば、馬が馬車を引くときの負担も相対的に小さくなります。

 

また馬車の手入れをきちんとしていればそれだけ車は壊れにくいですし、武装をしっかりと充実させるならば兵士の戦いは楽になるでしょう。

 

 

 

要するに、目標への筋道は無茶無いルートを選択し、備品はしっかりと準備、手入れして、いざ行動に移す際の負担とストレスを軽減しましょうという事ですね。

 

目標達成までに苦難があればあるほど良いとはいいますが、あんなもの“まやかし”です。

 

 

 

 

さて、続けての二重は……ズバリ、賞罰のことですね。しっかりと結果を残して成果を上げれば重い恩寵は褒賞で応え、逆に手を抜いたり違反したりとマイナスな事をする者には思い懲罰を用意する。

 

そして最後の一信は、これらの賞罰を違えず約束すること。

 

 

 

組織運営に必要な物は、やはり信賞必罰。気に入らない人間が大手柄を挙げても絶対に賞さず他人に手柄を移すとか、高官を持った人間がとんでもない違反行為や迷惑行為を働いても見て見ぬふりをするとか……

 

人間ならばついついやってしまいがちなこれらの行動も、人を統率して組織を運営するという観点で見れば害悪というわけです。

 

 

 

中には特定ターゲットの一人を集中攻撃して調和を図るという差別的団結方法なんかもありますが……あれらはあくまで至らない人間がするための次善策。

 

まずは人道の範囲でしっかりと統率していくのが一番でしょうね。

 

 

 

 

 

人を軽んじ、備品や手間を軽んじ、賞罰を個人的な好悪感情や自己派閥の利害のみで決める……

 

 

どれも割とみんなやっちまってて、しかもそれが破滅へのトリガーとなった事例も少なくない対応だわな


 

 

 

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百万有りと雖も、何ぞ用に益さん

 

 

 

 

呉子は、「勝敗は治……つまり、内部をどれだけよくまとめ上げるかによって決まる」と断言しています。

 

 

 

若法令不明 賞罰不信 金之不止 鼓之不進 
雖有百萬 何益於用

 

若し法令明らかならず、賞罰信ならず、之を金し止まらず、之を鼓して進まざれば、
百万有りと雖も、何ぞ用に益さん

 

 

 

法令が不明瞭で賞罰も不公平。さらに合図に沿って動くことすらしない様子ならば、百万という大軍を率いていても役には立たない。

 

 

人の動く力というのは、数よりも統率によって得られるところが大きいというわけですね。

 

 

いざとなれば莫大な力を発揮し、進めば阻む者なく、退くときは追撃を許さず、しっかりとした節度と迅速に命令に従痛い列を乱さない規律正しさを併せ持ち、将兵が一丸となって戦って苦楽を共にし、さらには疲れ知らず。

 

 

呉子の上げる最強理想の軍隊とは、こんなものなのです。父子の兵、という表現を用いていますが……まさに将と兵卒が親子のような絆で結ばれている事こそが、組織にとっての理想形態というわけですね。

 

 

 

この形態にたどり着くには、厳しさだけでも優しさだけでもダメですし、我を通し過ぎても兵たちの言いなりになってもダメです。

 

 

明白な理論で作られた法令を厳守する厳しさと、しっかり労わって苦楽を共にするやさしさ、そして信賞必罰を心掛ける公平さと信望を併せ持って初めて、理想とする最上の組織が出来上がるわけですね。

 

 

 

 

ちなみに法令に関してだが……こいつを自己都合と個人の損得だけで決められた場合は厳守の限りではない。

 

 

そもそも法令からして公平さを欠いて特定人物だけが得するようなものだった場合、既に組織の根幹から間違ってるかもしれんな。

 

無論、特定の団体や個人を、大した害も無いのに攻撃して締め出すようなものも同類だ。

 

 

規則は重役だけでなく、みんなが納得できるような理由で立てられなければならない。私欲や自分たちの利害だけで立てたものを建前で適当に繕うのはNGだぞ


 

 

 

 

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進止の節

 

 

 

 

 

無犯進止之節
無失飮食之適
無絶人馬之力

 

進止の節を犯す事無く、
飲食の適を失う事無く
人馬の力を経つ事無し

 

 

戦いには流れがあって、進むべき時に進み、止まるべき時に止まる「節目」を忘れてはならない。

 

兵を飢えさせるのも論外だが、過剰摂取させて飽食状態にするのもダメ。

 

人馬一体となっていつでも全力で動けなければならない。

 

 

 

 

この辺りの塩梅は、指揮官の能力にかかっています。

 

 

何事もしっかりとした流れや、過不足ないようにしっかり管理し、いつどこでも兵が全力を出せるような場所を用意し、その状態を維持できるように心がける。

 

 

 

極端な話、指揮官は兵士にどんな命令でもできてしまうわけですから、兵の体力の管理や食料補給の過不足等々……自軍のケアもキチンとして、自分の責任でしっかり面倒見てやらなければならないわけですね。

 

兵士が全力を出せないのは自己責任ではありません。そのほぼすべてが、指揮官に責任があるわけです。

 

 

 

 

「そこまで面倒見れるか!」

 

 

そう思うなら簡単だ。上に立たなきゃいい。みんなしっかり仕事してるのにロクな成果が出ないんなら、悪いのは本人か、さらにその上だ。どっちにしても上に立つもんじゃないわな。

 

で、おっさん思うのよ。この辺の責任問題から逃げに逃げた結果、権力のない奴ない奴に責任を求める自己責任論にたどり着くんじゃなかろうか。

 

 

……と、これは脱線だったかな


 

 

 

 

若進止不度
飮食不適
馬疲人倦而不解舍
所以不任其上令

 

上令既廢 以居則亂 以戰則敗

 

若し進止度あらず、
飲食適あらず、
馬疲れ人倦んで解舎せざるは、
其の上の令に任せざる所以なり

 

上の法既に廃すれば、以って居れば則ち乱れ、以って戦えば則ち敗る

 

 

もしも進退のタイミングを完全に無視し、飽食や飢餓に陥ったりで兵糧管理もダメで、兵士や馬が疲れ果てているのに何も考えずひたすら進ませるような指揮官は、はっきり言って不適材。

 

こういう上層部として無能な人間が上に立ってしまえば、平時であっても秩序が乱れ、戦ったところで負けは目に見えている。

 

 

 

よく言われますが、コマンダーと1プレイヤーは完全に別物。仕事ができるからと言って上に立って上手くやっていけるわけでもありませんし、逆も然り。

 

肝心なのは上に立ってしっかりやっていける人物を指揮官として起用することで、上役に向いていない人が上役をやっても、苦しむのは本人か下か、あるいは両方か……

 

 

 

上に就く以上は、それに適したやり方をしっかり学び実践してみて、周囲も本当に適しているかどうかを見極める必要があるのです。

 

 

 

 

個人能力=指揮能力。

 

 

誰もが陥る方程式だわな。

 

 

上に立たせても指揮ではなく弁舌やらプレイヤーとしての技術やらを磨いてばかりで、「下など締め上げて無理矢理本気を吐き出させればいい」みたな奴らがどんどん上に起用された例は、古今東西どこを見てもあふれかえるくらいある。というのも、その手の奴らは言う事だけは調子がいいから、上が気に入って重宝するわけよ。

 

 

で、そういう奴らが上に立って「圧倒的能力で叩き伏せて、無理やり下を締め上げる」というふざけた人材活用法を浸透させることで、優秀な指揮官が育たなくなる、と……

 

こうやって滅亡した勢力も多いし、現代でもこれでブラック化、あるいは業績悪化の末路を辿る企業も多いな


 

 

 

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