呉子:序章 魏文侯「私は戦争は嫌いだ」
さて、呉子兵法は呉子の事績と名言を集めたものだと言いますが……まず、本編に入る前に「序章」として、讒言により故郷の魯(ロ)を追われ、魏(ギ)の国を訪れた時の話から話は始まります。
呉子は魏の国主と出会い、問答を行って、その才能を評価されてしばらく魏国の軍事担当として八面六臂の活躍を見せます。
その事始めである問答を、聞いていた何者かから情報を得た著者がその一連の流れを序章という形で書き留めているわけですね。
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見を以って隠を占い、往を以って来を察す
二人の引見に際し、文侯第一声として以下の発言をします。
寡人不好軍旅之事
寡人、軍旅の事を好まず。
つまり、二人の出会った場での第一声は、文侯の「私は戦争を好まぬ」という一言だったと。
それに対し、呉子は
臣 以見占隱 以往察來
臣、見を以って隠を占い、往を以って来を察す
「私は現象から本質を読み取り、実績から未来を察する力があります」と、さらにその後に、「何を心にもないことをおっしゃるのか」と続けています。
実は当時、魏国は軍備を整えている真っ最中。
呉子はこれを見て、「戦争を仕掛けるつもりだな」と察していたのです。
すでに戦争を確信していた呉子は、すかさず文侯の現在の政治について追求。
なめした獣の皮を量産し漆を塗りたくっていますが、これは夏冬の気候を凌ぐために必要な物ではありますまい。
それに、長柄の武器を量産し、巨大な馬車も作っていますが、こういった手合いの武器は狩りには不向きなはず。
さて、これらの武器は、いったいどこでお使いになるおつもりでしょうか?
戦争に使う以外ありえますまい。
……これだけでは、何とも厭味な人間に聞こえますね。
当然この後に売り込みをすかさず行っているわけですが……それは次の見出しに置いておくとしましょう。
ともあれ、ここで肝心なのはその情報収集能力と、整理能力です。
武器を作っているから戦争をするつもりだ。こんな理論、単純すぎて誰でもわかるような話ですよね。
しかし、考えてみてください。呉子は、魏の国に入って文侯の元を訪れるまでの間に国を観察して情報を得て、「軍備を整えている=戦争をする気だ」という答えにまで自力で行き届いているのです。
まあこれだけ聞けば、「誰にもわかるわい」と言えますが、当時はそもそも足を運べる場所も少なく、ましてや他国の人間になど、当然のことであってもそうそう分かるものではありません。にもかかわらず、文侯と出会う前から正解にたどり着いてしまっているわけですね。
この辺りは本文に書かれているものではありませんが……本当に優秀な人は、スタンドプレーではなくこんな感じで、困難をさも簡単に乗り切っているものなのだろうと思い、ちょっと捕捉を入れさせていただきました。
言われなきゃ、大半の人は「呉子は当たり前のことを言ってるだけじゃん」って思って終わった一文だろうな。作者も孫子の知識がなきゃ見逃してただろう。
こんな感じで、本当に有能な人間ってのは見分けが難しいんだわな
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闘心有りと雖も、之に従いて死せん
さて、こうして文侯の目論見を見事に看破した後、呉子は売り込みとして、独自の戦争観を語っています。
雖有鬭心 隨之死矣
闘心有りと雖も、之に従いて死せん。
「戦意だけでは、殺されてしまうでしょう」と。
つまり、やる気だけで戦っても、小動物が子持ちの状態でありながら猛獣に戦いを挑むようなもの。
必要なのは気勢と軍備だけでなく、それらを扱えるものであるというのが、呉子の戦争観なのです。
内に文徳を修め、外に武備を治む
そして戦争観と共に呉子が語ったのは、今度は君主論。
戦争を嫌うあまり武器を廃止すれば、他国に攻められると簡単に攻め滅ぼされます。
しかし、武力ばかりを頼みに何事にも戦争での解決を望んだのでは、やはり国は荒れはてて行きつく先は滅亡、あるいは辟易した部下の叛逆でしょう。
争いは、他人との利害が存在する以上避けて通ってはいい事のないものであり、しかし同時にそればかりを頼みにしてもダメな物なのです。
必内修文徳 外治武備
内に文徳を修め、外に武備を治む
内には文徳を以って修め、外敵には武力で備える。
敵の攻撃により自分たちの敷居や領域が荒らされ、そこにいる人たちが危機に陥っているのに戦わないのは正義とは言えませんし、その戦いによって戦死した者を悲しんでいるだけでは、仁義とは言えない。
呉子は、文侯に向けて語った持論の締めくくりに、そう言っています。
どれほど争いを好まなくても、外敵はお構いなしに自分たちの領域を荒らしてきます。
それが不要な部分であるならばともかく、決して譲れない部分を攻撃されても何もしないのであれば、致命的な損失を受けるのは間違いないでしょう。
こういったことにならないためにも、日々最低限でも戦うための準備をしておくことが肝要なのかもしれませんね。戦いに慈悲など無いのは、戦時も平時も変わりません。
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その後の呉子
ちなみにこの大演説をして見せた呉子は、感心した文侯に歓迎されて取り立てられ、彼の軍の大将として起用されることとなりました。
そして臨んだ戦いは76にも及び、64勝12引き分けという驚異の戦績をたたき出したのです。
まあ名誉欲のすごい人で、君主以外からのウケはあまり良くなかったらしいですが……そのあたりは、能力と性格は必ずしも一致しないという事でしょう。