孫子の教え:第三 『謀攻篇』
今回は十三ある孫子の教えの第三段・謀攻篇です。
敵味方の力量を図って、しっかりと必要な物を調べて準備……そこまで勝算を上げたら、もういよいよ敵を攻撃しに行きたくなりますよね。
が、孫子の教えでは「まだ不十分」としています。
ならばどうするのか?
敵に工作を仕掛け、勝ちの目をさらに大きくするのです。
というわけで、謀攻篇では、戦争前の外交、謀略といった更なる準備行動の大事さを説いています。
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百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり
孫子はとにかく戦いを避け、消耗を最低限にして勝つ事を何よりという教えを説いています。
今回の場合だと、敵を謀略・外交で屈服させたのならば吉。戦うのは、それがダメだった時……となります。
全国為上 破国次之
全軍為上 破軍次之
全旅為上 破旅次之
全卒為上 破卒次之
全伍為上 破伍次之
国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。
軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。
旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次ぐ。
卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。
伍を全うするを上と為し、伍を破るは之に次ぐ。
まず敵の国を破り、それがダメなら軍勢。それもかなわなければ大規模部隊、中規模部隊、小規模部隊……といった感じでしょうか。
大きなところを屈服させればそれだけ効果があり、効果次第では戦争をしなくて済む。そういう理屈です。
「何を甘っちょろい事を!」などと思われるかもしれませんが……これも冷徹な打算の元にたたき出した答え。
そもそも戦争とは、領土、人、物資etc.とにかく何かしらの戦果を得るために行うものです。戦って勝つのもよいですが、それでは戦争で消耗した分、得られる利益は少なくなってしまうというわけです。
戦う事の損失を考えると、やはり戦わずに勝つのが上策……となるわけですね。
作戦篇にも書かれていますが、戦争をするには膨大な資金と物資が必要で、やればやるだけ、長続きすればするだけ国力も弱っていきます。
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そうやって疲弊しながら全戦全勝したところで、得るものも少なく消耗も大きい。
しょっぱい戦果を得ただけでは何のために戦っているのかわかりませんし、いつかは力尽き大敗北を喫することもあるでしょう。
「百戦百勝は善の善ある者に非ざるなり」。つまり、「全戦全勝したところで、へばって立てなくなっちゃうんじゃ戦う意味はないよね」と。孫子はこう述べています。
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故に上兵は謀を伐つ
孫子の教えでは、取るべき策の優先度は
謀略>外交>野戦>攻城戦
となっています。
敵は単なるAIならまだしも、生きている人間。勝ちたいからと馬鹿正直に戦いを挑んでも、必死の抵抗や迎撃策に引っ掛かり負けるケースも想定できます。
何より、相手が何かの策を考えている可能性も十分にあるわけです。
「まず敵の謀略や陰謀を見抜いて不発に終わらせること。次は敵と敵同盟国の外交関係を崩すこと。その次が敵を野戦で蹴散らすこと。真正面から城を攻めるのは普通は一番の悪手」
城攻めは相手に地の利がある以上不利は明白。さらに窮鼠猫を噛むという言葉もあり、逃げ場を失った敵兵は決死の覚悟を抱いて戦うでしょう。
対し、こちらは不利な地形での戦闘になる上、敵の必死さに恐れをなした味方は士気が激減することが予測されます。
要するに、追いつめた相手を直接攻撃するのはとんでもなく馬力がいると。
とすれば、やはり最良の手は何かというと、正面衝突を避けることになります。
いじめられっ子が復讐のためにいじめっ子を殺すことも稀にあるよな。
いじめに限らず、争いごとでも何でもそうだ。
不用意に敵を追いつめると、あんな感じでド派手に暴れるから、仮に誰かと戦うにしてもキチンと逃げ道は残してやった方がいいぞ。
ヤケになった人間は、いつの時代でも恐ろしい
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謀攻の法
故善用兵者
屈人之兵 而非戰也
拔人之城 而非攻也
毀人之國 而非久也
必以全争於天下
故に善く兵を用いる者は、人の心を屈するも、而して戦うに非ざるなり。
人の城を抜くも、而して攻むるに非ざるなり。
人の国を破るも、而して久しきに非ざるなり。
必ず全きを以って天下を争う。
戦争の上手い人は、戦うにしてもまずは心理戦で相手の心を挫き、屈服させようとします。
城を攻撃するときも、攻め立てることなく、謀略、外交、野戦への誘い込みとあらゆる手を駆使し、よほどでなければ直接城を攻めることはしません。
また、どこかの国を攻め滅ぼすときも、時間をかけて戦おうとはしません。
とにかく、全――つまり、無傷のまま手に入れることを以って、天下の覇権を争うのです。
孫子は、この「戦わずに勝つ」の姿勢を「謀攻の法」、つまり「謀の原則」としています。
小敵の堅は大敵の擒なり
謀攻篇では、少しだけ戦いの原則を述べています。それが、ここの見出しにある一文ですね。
敵の十倍の兵力があれば敵軍を包囲する。
五倍ならば攻撃。
倍いるならば、敵を分断し各個撃破。
互角ならば根競べの力勝負。奮闘したほうが勝つ。
劣勢の場合は、うまく撤退することを考える。
目に見えて自軍が少ないなら、さっさと逃げる。
つまり、自軍と敵兵の数の対比に応じてやり方を変えるのが鉄則と。
互角の場合は気合いと根性。これも、兵の精強さや双方の地理状況によって変わってきそうな内容ですが……まあ、まったくの伯仲状態なら、本格的に根競べの様相を持ってくるでしょう。
しかし、根競べも疲れますからねえ……できれば孫子の教えに則って、ここは我慢比べにならないよう、うまく立ち回りたいものです。
当然、数は少なければ少ないほど不利になります。
そのため、劣勢の場合は逃げることを孫子は推奨していますね。
特に圧倒的に不利な場合は、現場判断の博打みたいな奇策が上手く決まらないと、勝つのは難しいのです。
ちなみにだが、孫子に注釈をつけた三国志の曹操は、
「相手の五倍の兵力を持っている場合は、正攻法と奇襲の使い分けで勝つこと」を提言しているぞ。
要するに、攻めるだけじゃダメってことだな。
ちなみに陽動隊と奇襲部隊の兵力差は3:2がいいとも言ってるが……まあ、ここは本人の実戦経験から来た解釈だろう。
……ちなみに、優勢の場合は結構負けてることは突っ込んでやるな。これでも勝率八割の化け物が放ってる言葉なんだ。説得力はあるはずだ
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夫れ将は国家の輔なり
将軍とは、国家の助けになる人材。君主と仲が良ければそれだけ国は強くなりますし、君主と疎遠であれば逆に弱くなります。
こういった人の信頼関係も国の強さを図る材料。君主と将軍(今風に言うと経営者と現場監督とでも言えばいいか)の間の信頼関係が、そのまま強さに影響するわけですね。
そんな大事な信頼関係を引き裂きそうな心配事を、孫子では以下の3つに集約しています。
1.進軍してはならない時に進軍を命じ、撤退できない時に撤退を命じる
2.現場事情も知らないのに余計な干渉をし、軍を混乱させる。
3.臨機応変の処置もわからないのに干渉しようとする。
強引にまとめると「現場のことがわからん奴が余計な口をはさんでも混乱するだけだけだ」という話ですね。
絶対の君主権を濫用して兵たちを迷わせていては、余計な軍の混乱を招き、勝てる戦いも勝てなくなり、統率力の弱さを見抜かれて外敵を招きこんでしまうでしょう。
彼を知り己を知れば、百戦殆からず
謀攻篇の締めくくり、何だかんだ一番有名であろう文の一部ですね。
戦争に勝つために知るべきポイントは以下の五つ。
1.本当に戦うべきかどうか
2.兵力差に応じての適切な行動がとれるかどうか
3.軍隊で一丸となって結束できているかどうか
4.謀略を駆使し、万全な状態で敵の不意を突けているか(出来ていれば勝てる)
5.将軍の能力はどうか。指揮権に余計な干渉が入らないかどうか
この5つの見極めは、すべて戦争に臨む前からおおよそ判断可能。さらに言えば、しっかり見極めないと運任せの勝負になてしまいます。
これらをきちんと見極めたうえで、さらにはこれまでの篇で述べた『五事七計』をも計算に入れ、その上で自他の戦力差をしっかり考慮に入れれば、孫子は「勝てる」と断言しているわけですね。
5に関しては、現代でも言えることだな。
現場責任者が優秀なのにお上が余計な口を挟めば、それだけ現場も混乱する。最悪、現場責任者が不信感を抱いて辞めちまうことだってあるはずだ。
もっとも、有能無能の判断は難しいし、有能でもすぐに結果が出なければ無能に見える。性格が合わなきゃダメに見える。
その辺は上に立つ人間の度量次第だな
知彼知己者 百戰不殆
不知彼而知己 一勝一敗
不知彼不知己 每戰必殆
彼を知り己を知れば、百戦殆からず。
彼を知らず己を知れば、一生一敗す。
彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し
敵味方の実情をしっかり理解できれば、戦う先で危ういところはありません。
味方の事情は知っているけど敵の事を知らない人は、勝ったり負けたりを繰り返します。
敵味方に関しててんで知らない人は、一戦一戦が危険な橋渡りです。
孫子はまず、戦う以前に敵味方をつぶさに観察することを良しとしています。
観察することで勝てる相手かどうかがわかりますし、謀略にせよ戦争にせよ、相手の弱点や狙いも見えてくるものです。
ダイナミックな戦法のような面白味はまったくありませんが、どんな戦法や奇策も、こういった地道な情報収集から編み出されているものなのを忘れてはなりません。