孫子の教え:第九 『行軍篇』 後編
またまた長くなったので、こちらも2つに分けていきたいと思います。
行軍篇の後半は、敵情から察する状況や心情、そして最後には賞罰について言及したものになっています。
敵情に関しては割とそのまま行くので冗長かもしれませんが……まあ、「現在の相手の立場や態度にはそれぞれ思いや理由がある」という一例として見ていただければと……
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敵近くして静かなる者は、その険を恃むなり
さて、ここからは、敵軍の様子や周辺状況から、敵の狙いや様子がわかるといった旨の内容ですね。
この辺はかなり具体的に書かれているので、本文の現代語訳そのままでもいい気がしますが……まあ、それだと味気ないのでちょくちょく口出ししていきます。
こちらが迫っているのに敵が静かなのは、険阻な地形を利用する気でいるからだ。
こちらがまだ遠いのに仕掛けてくるのは、こちらがこのまま進むのを待っているからだ。
高所を捨てて平地に陣を敷くのは、誘い込むための策だ。
草木がざわめくのは、敵が近くに来たからだ。
大量の草が覆いかぶされているのは、伏兵を疑わせるためだ。
獣が驚いて逃げ去るのは、そこに伏兵がいるからだ。
と、おおよそ敵の動きや周辺の草木の状況から、孫子はこれだけ敵の狙いや動きを推察しているわけですね。
土埃が高く舞い上がるのは、戦車部隊が迫っている証拠だ。
逆に埃の舞いが低いのであれば、歩兵部隊だろう。
あちこちに散らばって細く上がるのは、敵が薪を取っているのだ。
小さくあちこちに舞い上がる土埃は、斥候の物だ。そこに野営するつもりだろう
と、土埃ひとつをとっても、これだけの事態が想像できてしまうわけですね。
一流どころはわずかな情報から答えや事情を推察するものとは聞きますが……おそらくこういうことを言うのでしょう。
敵の軍使がへりくだった言葉で機嫌を伺いながらも敵軍の軍備が増しているのは、進撃してくる予兆である
逆に軍使が強い言葉で威圧して今にも攻撃してきそうなものならば、それは退却の予兆である。
要するに、敵の「自分たちの動きが悟られたくない」という考えを読み切っての言葉ですね。
無論、孫子兵法が出回てからは逆に裏を突くこともあって、戦場での読み合いはさらに高度になっていますが……
戦車が前線に出て両翼を固めているのは、陣立てをしている最中である。
特に行き詰ったわけでもないのに講和を求めるのは、何か狙いがある。
兵を整列させてあわただしい様子なのは、決戦を仕掛ける予兆である。
敵の半数が前進し半数が後退するなど、統制がとれていない様子になるのは、こちらを誘い込む為だろう
「相手の狙いを読み切って、それに合わせて的確な手を打つ」。おおよそ、孫子の兵法はその勝ち方を良しとしています。
この辺りも、その大原則に則って、しっかり敵を観察した結果の賜物なのでしょう。
当然、敵にも同じことが言えるわけで……戦っているとこうして色々仕掛けてくるわけです。
敵の動きや仕掛けてきた策を見破り、その狙いまで看破する。そこまで読み切って最適の策を実行することが、兵法の極意なのです。
……さて、この文、実はもう少し続きます。
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兵が杖を突いているのは、敵が飢え弱りきった証拠だ。
水汲み担当の兵士が汲んで真っ先に水を飲むのは、その軍では水不足になっているからだ。
明らかな好機に進軍しないのは、軍が疲れているからだろう。
陣所に鳥が止まるのは、そこが無人だからである。
夜中に叫び声が聞こえるのは、敵兵が怯えているからだ。
旗がどっしり上がらず動揺しているのは、敵陣に何かの乱れがあったからだ。
敵の幹部が腹を立てて怒っている様子なのは、敵軍の疲れの兆候だ。
馬に兵糧を食べさせて兵士が肉を食い、食器の類を壊して幕舎に戻ろうともしないのは、もはや追いつめられて死に物狂いになったからだ。
敵の弱点を突くのを最上とする以上、敵軍の衰弱も見逃さないのが孫子クオリティ。
敵の狙いだけでなく、弱点もしっかり見切ってこその兵法なのですね。
さて、この完全引用文も次でラスト。敵の実情や心情を理解し、それに依った推測を立てたものになっています。
敵の将軍がやたら兵士に気を使い、親身で物静かに話して心を掴もうとするのは、兵たちの心が離れていっているからだ。
やたら賞状、賞金を乱発するのは、士気低下で行き詰ったからである。
逆にやたらと罰則を科すのも、疲れから行き詰った証だろう。
兵を乱暴に扱っておきながら後で兵の離反を怖がるのは、その将軍がダメなのをさらけ出しているからだ。
敵が軍使を派遣してわざわざ贈り物を届けてくる場合は、軍を休ませたいからという理由がある。
敵が意気盛んに向かってきながら交戦に至らず、かといって撤退しない場合。これは何らかの狙いがあるだろうから、慎重に観察して真意を探らなければならない。
人間、行き詰って困り果てた時の他人への対応は限られています。
特に一軍を預かる将軍なんかは、こういう場面に直面すると以下いずれかの方法をとるでしょう。
1.味方の機嫌を取って必死に離反を避ける
2.罰則でガチガチに縛って必死に統制を保つ
3.周囲に八つ当たりする
4.敵に媚びてみる
まあその裏で抜け出す方策を考えるか、それともその場しのぎで先がない状況に追いやられるかはその人次第といったところですが……
いずれにせよ、上の4つのうちのどれかが、行き詰った兆候として見えてくるわけですね。
孫子は、そんな人間心理に踏み込んだ行動を観察し、この時代からすでに答えを提示していたわけですね。
恩賞バラマキは一見価値のある方法に見えるが……あれは頑張ったらもらえるからこそ意味がある。
逆に締め付けを厳しくしたり、散々罵声浴びせて好き勝手した挙句不安になったりは……うん、もはや何も言うまい
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兵は多きを益ありとするに非ざるなり
さて、行軍篇もいよいよまとめの文ですね。
兵力は多ければ多いほど戦況は有利になりますが、多ければそれだけ有利という事ではありません。
兵士が多くとも、兵をしっかり統率し、よく考えて戦うことが要求されます。
敵の狙いをよく理解せず侮ってかかり、集団を活かせず戦う者は、得てして敵の捕虜にされてしまうでしょう。
さて、そんな将軍の一番の仕事は、何と言っても兵士たちの指揮統率。
兵士たちも人間です。まだ将軍がどんな人かもわからず親しみ懐いていないのに懲罰を行うと、兵たちは将軍に心服しません。
人間、認めていない人のために頑張るのは難しいもの。心服していない兵士をしっかりと統率し十全の力を発揮させるのは、並大抵のことではありません。
逆に刑罰をなくし、単に親しみやすいだけの将軍で居続ける場合。
これでは逆に兵士たちにナメられます。「罰せられることがない」と確信した人間は実に気ままな物で、これまた制御は不可能に近いでしょう。
そこで、兵士たちには温情を以って心服させ、しっかり心をつかんだら、今度は罰則によってきっちりと統率をとっていく。これが必勝の軍の統制方法というわけです。
この辺は上司と部下の関係についても言えるよな。
日頃から怒鳴り散らすばっかだと、部下の心は離れていく一方だ。
だが甘やかしてばっかで違反を罰しないと、今度はナメくさって平気で手を抜いたりサボったりする。
締め付け過ぎても甘やかしすぎても、結局辿る最後は同じなんだな
特に規律や規則は、普段からしっかりと機能させておくことが重要です。
エコヒイキでも私刑でもなんでもそうですが……
こういった法令規則を上官が平気で破ったり、お気に入りに適用させなかったり、はたまた気に入らない人間には規則を曲げて過剰に罰したり……こんな事があれば、兵士の心が離れていくのは当然です。
賞罰が普段からハッキリとして誠実なものであれば、全員の心は一丸となり、大きな成果を生み出すことができるでしょう。