読書だけでは偉くなれない? 知識は使って、驕らずに!
どうも、焦げまんじゅうです。
最近、よくあるネタですね。「読書をすれば偉くなる!」
おそらくこんな文面に惹かれて、最近読書をし始めた方も少なくはないのではないでしょうか?
かくいう私も、読書のメリットについて語ってみたりした身ではありますが、やはり「読むだけで知識を身に着けるのは至難の業」というのが正直な意見……
したがって、重要なのは
1.自分なりに噛み砕くこと
2.実践すること
この2つなのではないかと思われます。知識として詰め込むだけでなく、やはり自己流にあれこれ試してみるのが肝心なわけですね。
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本は必ずしも最適解だけを書いているものではない!
為になるタイプの本を読むことの最大のメリットは、「自分なりに噛み砕くことで、得た知識を初めて自分のものとして使うことができる」という点。
得た知識そのままだと、どうしても著者本人の体験談や独断などが入ってしまい、使う場所が限定されてしまいます。
こうなると、知識をうまく扱う事が出来なくなり、読書の意味も半減下手するとそれ以下になってしまう事も……
だからこそ、上手く自分なりに使いやすく加工して、いつでもその知識を引き出しから取り出し、そのまますぐに使えるようにしておくことが重要なのですね。
哲学本などでは特に……
文章表現と言ってもいろいろです。例えば素直にズバッと所感を述べるようなものもあれば、遠回しな皮肉や厭味などもあり、それこそ表現方法は人の数ほど……です。
ノウハウ本や知識本のようなありのままの思いや体験談を述べるだけの本では婉曲表現や回りくどい言い回しなんてなかなか見当たりませんが……案外、哲学本などには多いのです、これが。
そもそも書物の類は、いつの時代も出版社や国の検閲といった校正や厳しいチェックの元、組織や国にとって都合の悪い情報を直接的に書き込ませないように作られている物です。
そのため、特に過去の文献などでは、褒めたくもないものを表面上べた褒めしたり、あり得ない嘘をさも当然のように書き込まれたりするのは割とよくある話だったのですね。
当然、今もそんな類のことは無いとは言い切れません。
やはり人間、都合の悪い情報は普通人に教えようとはしませんし、スポンサーのような後ろに控えている人や組織の機嫌を損ねないための工夫などを凝らす必要があります。
本の内容を真に理解するには、こういう裏事情まで文脈から推測できるようになると、より精度が上がるわけですね。
まあ、下手にあれこれ邪推したうえで「これが正しい!」と根拠もなく信じ込んでしまうのは逆にアレですが、やはりせっかく本を読むのなら、一度に多くを理解できるようにしたいですよね。
難しかったら、まずは好きな小説の伏線なんかを発見、推測していくことを勧める。
あれも文脈や前後の展開から予測を立てたり、一度読破した本を読み直して「こういう意味だったのか」と納得するもんだが……ぶっちゃけ「頭を使って読んでいる」という意味では他の本とそう変わらん。
練習にはピッタリだろうな
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知識はやはり使い、試行錯誤してこそ!
せっかく買った道具を使わずにしまっておくだけでは、そもそもその道具を買った意味がありませんよね。
知識もそれと同じで、持っているだけでは何の価値もありません。せっかくなので、自分なりに活用していきましょう。
ぶっちゃけましょう。
読書そのものは楽しいし素晴らしいですが、それだけで何かの価値が生まれることはない!
おおよそ、読書する理由って2パターンあると思うのです。
1.楽しいから読む
2.何かの知識を得るために読む
まあ私は大抵1オンリーの人間ですが……もし2の理由で本を読んでいる方は、読むだけで満足することはしないでください。
読書で得た知識を物にすることで一番重要な部分は実行!
実 行 ! !
はい、大事なので珍しく超強調してみました。
知識は貯めこむものでも、ましてやひけらかすツールでもありません。それ自体を楽しむためのものか、あるいは使うものです。
よく言われませんか?
「知識はどう貯め込むかではなく、どう使うかが大事」
何とも胡散臭い言葉ではありますが……悲しいかな(?)事実なんです。
例えば人間関係。
愛しの恋人と何かの嗜好がかみ合わずに喧嘩。そこで恋人の事をよく知るために、心理学や人間の性格関連の本を読む……。
しかし、だいたいの人は、「あの人はこんな性格だったのかー、へー」で終わってしまい、これで満足してしまうのです。
まあこの話はあくまで一例として。
例えば、他にも仕事でのミスを減らそうだったり、得意先との交渉のための知識雑学だったり……とにかく、多くの方は「使いたい」からこそ知識を吸収するのです。これは、あなたも同じはず。
ならば、読むだけでなく、実際に知識を自分の物にし、そして活用すること!
読書⇒知識を得る
これだけではなく、
知識を得る⇒自分なりに使える方法を考える⇒実践する
ここまでを、読書の一連の動きとして取り入れていきましょう!
読書エンジョイ派の俺も、得た知識の使いどころくらいは考えるさ。
「いつか役に立つかもしれない」と思っても、その場で噛み砕いて使えるようにしとかないとなかなか難しいぞ
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驕れる者は久しからず……
言わずと知れた、平家物語の一説から引っ張ってきた一文ですが……
いわゆる、意識高い系の面々に当てはまるかもしれませんね。言ってしまえば、知識をひけらかして、他人に自慢気に語って終わる連中への個人的な愚痴意見を述べさせていただこうかと。
先述の通り、知識は自分なりに仕える形にし、そして実際に使用するためのものです。自慢のためのツールではありません。
偉ぶるためだけに行う行動は、基本的に虚しいものです……
そもそも、知識を人に教える場合は、相手が内容を理解できなければなりません。
「バカにはわかるまい」と悦に浸るのはけっこうですが、そんな優越感を満たすためだけのしょーもないことに労力を費やしていたら、そのうち「バカ」が知識の活用法を身に着け、自分よりもはるか上に立ってしまうかもありません。
もし、連中が見下している対象の人が、何かの拍子に上に立ってしまった場合……流言飛語で貶めようとしても、小さく見えるのは他ならぬ知識自慢している本人なのです。
そういう人向けに難しい言葉を持ってくると、「士別れて三日、則ち刮目して相待つべし」というやつでしょうか。
自慢するために成長を止める人と、謙虚に何でも取り込みながらも、裏ではその知識を自己流に噛み砕いて自分のものにしていく人。どっちの成長力が高いかは火を見るより明らかです。
知識を得ても驕らず謙虚な姿勢でいること。これも、知識を正しく活用する上では必要な姿勢かもしれませんね。
そもそも、エラソーな人間と余裕があって謙虚な人間じゃあ、人望にも圧倒的な差があるわな。
人間、自尊心を満たすためについつい自慢しがちだが、やっぱそういうのって抑えたほうがいいんかもしれんな……