哲学書の読み方は「観」と「考」にあり!と私はドヤ顔で語る

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哲学書の読み方は「観」と「考」にあり!と私はドヤ顔で語る

 

 

 

 

どうも、焦げまんじゅうです。

 

 

個人的には、哲学書や思想書ほど「買うだけ」にとどまり、結局本棚の肥やしになる本はないと考えてます。だって昔の私もそうだもの←

 

 

というわけで、今回は「哲学書の読み方」について、焦げまんじゅうの個人的な見解を述べていこうと思います。

 

 

 

……念のため言っておきますが、あくまで「1人の個人的な見解」ですよ? 私がそのように読んでいるというだけであって、必ずしも正解ではありません。

 

 

私がなぜこんな逃げの言い訳を書いたのか…………単なる逃げの言い訳という面もありますが、私流の哲学書の読み方にもある種通じるところもあります。

 

その辺の意味も、察してもらえるとちょっとうれしいです←

 

 

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「観」! 己の主観をまず持つべし!

 

 

 

 

 

まずはじめに言いましょう。私個人の意見としては……

 

 

哲学なんて思想と思想、主観と主観のド突き合いです

 

 

 

哲学書や思想書は見る本や読む本、一方的な勉学のための教科書というより、考えるための本だと思っています。

 

あれ、読んだことのある方ならわかると思いますが……結構難解な上、捻くれた言い回しや歪曲表現も多いので、素直に呑み込む、愚直に捉えるという理想の勉学姿勢が通用しない場合が多いのです。

 

で、最近は格言集や名言集のような語録として出回り、書かれている注釈や解説も、基本的に憶測や推測ばかり。絶対に正しいと明言できる解釈はほとんどないのです。

 

 

というわけで、哲学書に必要なのは独自視点。

 

まずは言葉の意味や内容を自己流に推測するため、比較対象や考察の根幹になる自分の考えをしっかり持つことが大事ですね。

 

 

これが出来るかどうかで、哲学書の面白さは0にも100にもなりますよ。

 

 

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「考」! 哲学書そのものに答えは無いと知るべし!

 

 

 

さて、自分の考えを持つに至れば、あとは最初に言った通り。思想と思想のド突き合いですね。

 

まあ、そうは言っても、何も勝ち負けの世界というわけではないですから、これまた厄介なところですが……

 

 

哲学書に、世の中の心理や答えは書いていません。あるのはヒントと数あるうちの一つの考察だけ。それ単体では、受け売りだけの薄っぺらな知識にしかならないわけですね。

 

 

が、残念ながら、哲学の世界はただ見て学ぶだけでは理解のできない、考えることで初めて読む価値があるほどに効力を発揮するものなんですね。

 

 

1人の哲学を信奉し絶対として文面通りに信じる人は、たいていどこかで矛盾があったり、同じ言葉ばかりを機械的に繰り返していたりと、どこかでその薄っぺらさが出てしまっています。

 

 

 

ここの作者でいう所の、

 

「自分に合った本を読め」

 

「楽しんだもの勝ち」

 

みたいな奴だな。

 

 

プライドや見栄えを気にして表面上の知識を語っても、そりゃ出る言葉は薄っぺらくなる


 

 

これは独自視点が欠けているせいで考えられないか、哲学者の威厳にやられて自分を見失うかの2パターンが私には考えられますが……何にしても、自身の信念との照らし合わせが、本当に哲学書に求められること、というわけですね。

 

 

 

本を読んでいるから偉いなんてのは、ただの寝言です。

 

 

偉いとか偉くないとか、正直どうでもいい(´Д`)

 

 

 

哲学書の本当の意味合いは、ただの自分探し。他人に押し付けるものでも、べったり依存するものでもないというのが、私の答えです。

 

 

 

 

共感できる言葉には共感する。

 

違うと思えば、なぜ違うのかを考えてみる。

 

勉強になったと唸りたくなるところは、敬意をもって覚えておく

 

頭がこんがらがって知恵熱が出そうなときには、いったん頭を休めて冷静になってから思考を整理する。

 

 

 

 

私流の姿勢を主張するなら、だいたいこんなもん。普通に人に人生相談を持ち掛ける、あるいは人生相談を受ける時の姿勢みたいな感じですね。

 

 

最近は人によってさまざまな解釈が付いた哲学書も多々ありますので、まずはそういうのを眺めてみるのもいいかもしれませんね。

 

 

ただし、ためになるどころか、完全に思想や信念を乗っ取られる場合もあるので、そこはお気をつけて。

 

 

 

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ただし、わからなければ致命的!

 

 

さて、このまま綺麗に締めて大団円!となれば文句も生まれないのに、なぜか余計なことを書き足すのが焦げまんじゅうクオリティ。

 

というわけで、蛇足として……

 

 

今回は哲学書の読み方について、私なりの方法を伝授しましたが……そもそも、哲学書には致命的な欠点があります。それが、

 

 

そもそも理解すること自体が難しい

 

 

そういう事です。

 

 

 

哲学書はだいたいが、やたらめったら回りくどい上に、言いたいことを意図的にぼかすなど、とにかく非常に不親切でわかりにくい仕様になっています。

 

しかも用語だの、やたらと難解な日本語だの、とにかく理解させないためのありとあらゆる創意工夫がなされています。

 

 

ぶっちゃけ、このわかりにくさこそが哲学書の最初の壁にして、一番高くそびえるバベルの塔。もはや同じ日本語であると認めたくないレベルで難しいです。

 

 

こういうのは、考えられる理由としては

 

1.小難しい本特有の堅苦しい言い回し

 

2.難解な用語や難読漢字を絡めた嫌がらせ文法のオンパレード

 

3.そもそも理解できるようなレベルの代物ではない

 

 

と、この3つが考えられます。

 

まあ、1は克服可能です。レベルアップしてからまた挑んでみましょう。焦りは禁物です。

 

2に関しては、どーしても読みたいなら漢字辞典片手に頑張れ←

 

3は…………もう諦める他なし

 

 

とにかくこんな感じで、哲学書は超級の脱落者メーカーです。手を出すにしても、本に慣れるまでは誰かの注釈付きの簡単なものにしておくのが吉でしょう。


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