三十六計:第二十七計 仮痴不癜(かちふてん)
言葉の意味
痴を仮るも癜せず
端的に言えば、バカのふりをして相手の目をごまかすというやつです。元々は「使えない奴」という意味だった昼行灯という言葉が、現代では紆余曲折を経て今の形になってますね。
人間、見たまんまの表面上しか気にしない人がほとんどです。つまり、悪党が善人と称えられることも、無能が有能な人材に成り代わることも、あるいはその逆だってできます。
最近では逆にハリボテを立てた方がいい事の方が多いですが……ライバルの油断を誘うためにあえて愚者のふりをするのも面白い作戦かもしれませんね。
スポンサーリンク
要するに……
寧偽作不知不為 不偽策仮知妄為 静不露機 雲雷屯也
寧ろ偽りて知らず為さずと作すも、偽りて知を仮りて妄りに為すを作さず。静にして機を露わさず。雷雲は、屯なり。
知ったかぶりや才人気取りで軽挙妄動に出ると、大抵後で痛い目を見るのがお約束。それよりは、知らないふりをして何もしない方が余計な隙は作らずに済むでしょう。
基本的にまだまだ機が熟していない時は、下手に動いてその機会を潰すよりも、バカのふりをして油断を誘いつつ時期を待つのが良い事もあります。
そもそも、これは戦争のための作戦です。相手が敵である以上、こちらを評価して警戒するより「あいつ馬鹿だわww」と見下してくれていた方が、付け入る隙は大きくなるわけですね。
現代では大口を叩いて弁舌と見た目で有能アピールをした方が、人々からは認められやすく何かとお得な時代。しかし、それでも実力が露呈していくうちにメッキがはがれ、最後には他人の手柄を横取りするか実力不足を認めるかの二択を迫られるケースも多くなっています。
とはいえ、逆に有能さを口と肩書きで示さなければ、それはそれで周囲からは「どうせ無能だから」と立てた手柄すら無視や横取りの餌食にされるので……まあ、ケースバイケースですね。
どちらにせよ、極端に昼行灯で居続けるのは人生が難しくなりがちですが、アピールに力を入れるばかりで余計な失望を買うのは余計厳しい状況を招くというのは意識してよいかもしれませんね。
ちなみに相手が評価者でなくライバルだった場合、有能であるようにふるまい続けると余計な警戒と敵意を招く。
競争の場だったりやたらとこっちに突っかかってくる奴を避けたい時だったりといったケースなら、いっそ仮痴不癜をキメるつもりでいた方がいらん面倒は避けられるかもな
スポンサーリンク
実例:荘王覚醒
無能のフリで見事にチャンスをつかんだ例としては、春秋時代の楚の国最高の名君と言われた荘王(そうおう)の逸話が有名でしょうか。
荘王は父の死によって国が乱れ、反乱が発生したこともあって、その威光は著しく弱い状態からスタートを切りました。
しかもこの荘王、自らの即位から3年ものあいだ、遊び惚けては政治を行わず、「諫めた奴は死刑」という滅茶苦茶なお触れすらも出した大変残念な王様だったのです。
が、荘王が好き勝手やり続けて3年、いよいよ死を厭わずに自ら諫言を行う家臣が現れました。
まず、伍挙(ごきょ)なる人物は荘王に対して「鳴かず飛ばず」の語源となった謎かけを出してその真意を引き出しました。
そして次にやってきた蘇従(そじゅう)なる人物が死ぬつもりで諫言に訪れた時、ついに荘王は「転機が訪れた」と仮痴不癜の態度を改めます。
荘王は伍挙と蘇従をはじめ、あらかじめ目をつけていた家臣らをまとめて取り込み、重役に居座る奸臣たちを粛清。周囲が「あんなヘッポコ大王に何ができる」とタカを括っていたあってまたたく間に国内を掌握し、天下統一の覇業に着手したのでした。
上に立つとだいたいの奴らがヨイショしてきて、優れた人材を見極めるのが難しい。
自分が気分よく動くためだけにイエスマンで固めたいならまあこれでもいいが……うまく組織運営をしていきたいなら、あえて間違ったことをやって素の反応を見極めてみるのも面白いかもな。
マキアヴェリも言ってたっけ。「側近選びが一番しんどい」ってな