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【マキアヴェリ語録 人間編2】優れた強者の態度

 

 

 

正直な話をすれば、どれ程優れた人間であってもダメなときはダメで、下劣でつまらない人間でも、運さえつかめばそれなりの立場には上がれます。

 

まあこれは真理なのですが……それでも、素晴らしい人間の方がチャンスも多く、またチャンスを活かす力量を得るというのもまた事実。

 

 

というわけで、今回はマキアヴェリの語録の中から、素晴らしい人間の振舞い方を拾っていきましょう。

 

 

 

 

 

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動かざること山の如し?

 

 

 

衆に優れた人物は、運に恵まれようと見離されようと、常に態度を変えないものである。

 

 

本当に強い人は、ブレない軸を持っているものです。

 

そのため、基本的に運によって態度や考え方が左右されることはありません。ツイている時もツイていない時も、いつも同じような考えを抱き、同じような態度で人と接するのです。

 

 

逆に弱い人間は、運の良し悪しを表面に出してしまうものなのです。

 

例えば、運が向いているときは「これが私の実力だ!」と周囲に得意がり、不運が続くと逆に卑屈で自信のない人間になります。

 

 

この運の振れ幅への弱さは、特にリーダーともなれば壊滅的です。幸運な時にはいいのですが、ピンチになれば逃げる以外の選択肢を用意しない人がほとんどなのですから。

 

当然、我が身一つならば逃げようがどうしようが問題ありません。ただ、指導者として人の上に立っている以上、部下に責任を転嫁して逃げるのはもってのほか。我が身一つのために組織全体をダメにするのは、リーダーとしては最悪です。

 

 

 

ただまあ、気持ちとか精神の拠り所とかでこういうのを解決するのは、個人に限っての話だわな。

 

組織や集団にもなれば、やはり気持ちの問題よりも、そもそもピンチに何かしらの対策がある仕組みが必要になる。こういうのは根性論ではないぞ


 

 

 

 

幸運をうまく扱う者は勝つ

 

 

 

好機というものは、すぐさま捕まえないと、逃げ去ってしまうものである。

 

 

 

まあ当然と言えば当然ですが……幸運が来てから準備を整えようとしていては、その間に好機を逃すことがほとんどです。

 

なので、まずは準備をしっかりと整え、万全の状態で幸運の到来を待ち望む。これが、運をつかむ上でもっとも重要なことになってきます。

 

 

この辺りの話は、他人の成功体験や教訓を書き記した本なんかでも結構言われていることですね。いわゆる、「人事を尽くして天命を待つ」というやつです。

 

 

 

とはいえ、何事も性質や方向性は一定のものではありません。風向きが追い風の時もあれば、逆風……向かい風の時もあるでしょう。

 

 

良い性向は、時代によって移動する。

 

 

求められる方向性や本質も元をたどればほとんど同じようなものにはなりますが、その表面上の形だけはガラリと違います。

 

そして、表面上の違いこそが、人々の信任を得る上でもっとも必要なこと。「良い性向」を目指して準備をすれば、それだけ事が上手く運ぶ可能性は高くなります。

 

 

この辺まで考えるのはいささか面倒ではありますが……時代に合わせる柔軟性を持っていろいろと準備できる人は、基本的にどこに行っても強いです。

 

 

 

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完璧などあり得はしない

 

 

 

中くらいの勝利で満足する者は、常に勝者であり続けるだろう。反対に圧勝しか考えない者は、しばしば落とし穴に嵌る事がある。

 

 

 

物事はすべて長所も短所も一対となっています。どれほど完璧な物を作ろうとしても、それらは決して完成しません。必ず、どこかに長所と対になる短所が存在します

 

だからこそ、完璧を望むのではなく、ほどほどでもひとまず満足するのが賢明なのですね。

 

 

 

もしも大成したいのならば、長所と共に生じる短所を見極め、コントロールする術を身に着けるのは大事なカギです。

 

そして、その短所をコントロールし活用するという手段は、運に恵まれた時にこそ十分に活用できる手段。運によって、短所を長所に逆転させることができるのです。

 

 

こう考えてみると、その場その場だけの一発成功にそこまで深い意義はないと思えてきませんか?

 

 

 

 

先人の遺した偉大な道

 

 

 

人はほとんど、誰かが以前踏みしめた道を進むものである。

 

 

要するに、歴史上に名を残した人物と同じような道を進もうとするのがほぼすべての人間の常、というわけですね。

 

とはいえ、その道程を完璧に歩むこと、そしてその成功体験を完全に再現することは不可能です。

 

 

それならば、いっそ優れた人物の歩んだ道をたどろうと努め、それを規範にすべきだとマキアヴェリは語っています。

 

どうせ事の成否は運と実力次第。ならば、優れた人物の飛び抜けた事績を真似たほうが、その余韻にあずかれる……というわけですね。

 

 

大半の人は歴史の知識を披露したり歴史的発掘品を見せびらかしたりするだけで、そこから何かを学び取って、あまつさえ実践しようなどとは思わないものです。

 

大衆のうち一人から飛び抜けたいなら、あえて歴史上の偉人の考えや哲学に学び、それを自分のものにするのも非常に有効な手段の一つかもしれませんね。

 

 

 

おっさんからは、持論を一つここで伝えときたい。

 

 

彼らの人生に倣うならば、その偉人の生き方が自分に合うかどうかはかなり大事な要素だぞ。

 

なんせ俺らは俺らであって、その偉人じゃない。得意不得意も能力も境遇も、何もかも違う。

 

 

偉人の教えに則って世の中を渡るのはいいが、あくまで軸は自分であり、自分の力量や能力に合った教えを説いている人物を選ぶ。これが大事だぞ


 

 

 

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迎合して油断を誘え?

 

 

 

別の人格を装うことは、場合によっては賢明になる事もある。特に権力者に不満を抱く者はすべて、とくと学ぶべきものである。

 

 

権力者の振るう力は絶大です。その人格、品位がどれほど卑しいものであっても、ただその場でもっとも権力があるというだけで周囲はひれ伏します。

 

権力者に不満があって体制をひっくり返そうというのならば、やはり並大抵の手段ではいかないのですね。

 

 

そこでまず必要になるのが、自分の実力と相手を客観視するという能力。彼を知り己を知れば百戦殆からず……とは孫子の言葉ですが、自分と相手をきちんと理解し、まずは正面から堂々と戦って勝てるかどうかの目算は必須というわけですね。

 

 

 

そして正面突破が無理だと判断した時は……何をしてでも権力者に取り入ってしまうのが、事を起こすまでの時間稼ぎには最適です。

 

趣向に迎合するもよし、相手が好きなことをするもよし……まずはひっくり返すまでの間、表向き取り繕って安全を保障してもらうのです。そうすれば安全保障だけでなく、もしかしたらその権力者の生き様や楽しみなどを通じて、何か見えてくるかもしれません。

 

 

こうして得た知識や敵である権力者との結びつきは、いざ事を起こすときには大きな力になってくれます。自分を偽って取り入り油断させ、自分は相手のことをしっかりと分析する……こうすれば、素晴らしい方策も立てやすくなるのです。

 

 

 

いつぞやの「ライオンとキツネ」の話の具体的なやり口だな。

 

 

正面からやり合って勝てるなら、ライオンみたく猛然と挑んでいけばいい。

 

だがどうやっても今は勝てそうもないときは……文字通りのキツネだな。味方として散々媚びへつらって、万全の準備を行って油断したところを終わらせる。これも、謀略という意味では最適解に近いやり口だな



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