【マキアヴェリ語録 君主編1】良き主君とは何ぞや
まずはマキアヴェリの著作として代表的な、君主論。これは、上に立つ人の資質について語られていますね。
肝心な中身ですが……実にえげつないというか、何というか。大義名分や建前、綺麗事はすべて排除し、本当にマキアヴェリ本人が必要であると感じたことだけを述べています。
まずは、マキアヴェリが考える「良き君主」「立派な指導者」について、君主論を中心に取り上げていってみましょう。
……本当、うん。リアリズムの塊なので、見る人によっては注意が必要です。
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正義と力
早速君主論以外からの出展になりますが……
歴史に残るほどの国家は必ず、どれほど立派な為政者に恵まれようと、二つのことに基盤を置いたうえで種々の政策を実施したのであった。
それは、正義と力である。
元々マキアヴェリは、小国フィレンツェの宰相でした。しかし家系は裕福ではなく、地位の割に影響力も微妙。当人に能力や事績こそあったものの、周囲の裏切りや失敗の末に愛する祖国を追われる羽目になりました。
そんな人生を歩んだが故でしょうか。とにかく、思想は強烈で非情。現実に直接影響を与えるような効果的な物しかなく、そこに一切の感情や道徳、良心は介在しません。
そんな思想を端的に表したのが、上の言葉ですね。
この辺り、孫子や呉子でも言及していたものと似ていますが……とにかく、外敵から身を守るのは弁舌や契約ではありません。純粋な力です。
結局、契約や信義よりも、力こそがもっとも信用できる。これが、マキアヴェリが見てきた世界の一端と言ってもよいでしょう。
実際、契約を守るのは守れないと怖いから。無視しても何の問題もない契約にきちんと従う人はごく少数に限られます。
信義においても同じ。自分の命や今後を左右するほどの損得が目の前に転がっているならば、信義を打ち捨ててでもそれを優先するでしょう。特に、自分と運命共同体のような部下を抱えている人ならば、自分たちの利益のために悪党に成り下がる選択も、場合によっては必要になります。
「権力者の間で信義が守られるのは、力によってのみである」。つまり、そういうことです。
また、正義とは何か。これは、内部に敵を作ってしまったり、空中分解するのを避けるために必要な要素です。
例えば正しい目標、正義と相対する「悪」なる敵、絶対的に正しいという前提で広げられる道徳の教化……。とにかく、人々を一つの大きな指針によって統制する、そのための一番の要素が正義というものなのでしょう。
君主にとっての善悪
人々は、自分たちのリーダーを好き好きに評価します。
鷹揚であるとか、ケチであるとか、気前がいいとか、強欲だとか。
慈悲深いとも言われることもあれば、残酷とも言われ、誠意があるとか不誠実とか……。
これらの評判のプラスとなる部分だけを兼ね備えていれば、それに越したことはありません。
……が、そんな完璧超人、この世に存在しないのが常でして。
美徳と言われることが破滅に向かう事もあれば、また逆も然り。自分を潰そうと目論む輩の口実になりそうな悪評ならば避けて通るべきですが、全部を避けて通るというのは不可能です。
また、場合によっては悪徳を犯すことで集団を救う事も必要でしょう。
君主足らんとする者は、種々の良き性質をすべて持ち合わせる必要は無い。しかし、持ち合わせていると人々に思わせることは必要である。
-中略-
できれば良き徳から外れないようにしながらも、必要とあれば悪徳をも行うことを避けてはならないのだ。
君主の最も心すべきことは、良き状態での国家の維持である。それに成功しさえすれば、彼の取った手段は誰からも立派であると賞賛されることになるだろう。
人ってのはみんないい奴ならいいんだけどな。実際どうかってーと、器の小せぇエゴイストの集まりだ。
連中の流儀に合わせ、自分にとって最良の選択をするしかない
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ライオンとキツネに倣うべし!
術策など弄せず、公正明大に生きることがどれほど賞賛に値するかは、周知の事実である。
しかし我々の経験では、信義を無視する輩の方が偉大な事業を成し遂げたことを教えてくれる。
成功を治める方法として、マキアヴェリは法律と力の2つの方法を提示しています。
法律とは、則ち人の知恵と頭脳によって得る道。そして力とは野獣のそれそのものです。
残念ながら、法律や規律というスマートな方法だけでは、物事を推し進めることはできません。抑止力が無ければ、従わない輩も多数出てきます。だから、純粋に恐れられる力も交えた方法が必要なわけですね。
では、リーダーが持つべき力とは何か……。ここでは、ライオンとキツネに例えて述べられています。
ライオンは狼のような他の肉食獣から身を守るだけの力を持っていますが、仕掛けられた罠に気付くことができません。
逆にキツネには罠を見抜く狡猾さがありますが、他の肉食獣から身を守れず食べられてしまいます。
つまり、外敵を蹴散らす強さと罠を見破る狡猾さが、それぞれリーダーに求められるというわけですね。
とはいえ、キツネのごとき権謀術数を行使するならば、とことん内密に巧緻に行うことも必要です。何故なら、狡猾さは見破られた時点で狡猾さとは言えません。
孫子に「水に常型無し」みたいな文面があったかと思われますが……計略や謀略はバレたらおしまい。水のように変幻自在な謀略が求められるのです。
とはいえ、人は視覚情報に引っ張られやすい生き物。マキアヴェリは「騙そうとする者は騙す相手に不足することはない」とも述べていますね。
「君主たる者、偉大な事業を成し遂げたいなら、人をたぶらかす術……すなわち権謀術数を習得する必要がある」
これも、マキアヴェリが政略論で述べられている言葉だな
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君主の敵は、内と外の双方にある
これらの敵から身を守るのは、怠りない防衛力と友好関係だ。
常に良き力を持つ者は、良き友にも恵まれるのである。
とにかく集団のリーダーというのは、あらゆることに気を配らなければなりません。主には、外敵からの攻撃を防ぐ手段と、内々で敵対してくる者とどう接していくのか。この2つが、我が身を守る上での生命線になると言えるでしょう。
まず、真っ先に思いつくのが、敵と戦ったり不測の事態に対応するための自分自身の力。
自らの力で自らの身を守ろうとしない者に、集団を守り抜くだけの力は備わらないでしょう。敵が攻めてきても運頼み神頼み。自分から動かず、対策も練らずに外敵が過ぎ去ってくれるのを祈るばかりでは、やはり失敗は目に見えています。
「自らの力を基盤にしていない名声や権威ほど、頼りにならないものはない」。これはマキアヴェリが「いつの時代でも対応できる賢者の意見」として賛同している言葉ですが……やはり中身が空っぽの権威ほど虚しいものは無いのです。
また、外敵だけでなく、自分の集団内に敵を作ってしまう事も、指導者の行動としては危険信号。
君主にとって最大の悪徳は、憎しみを買う事と軽蔑されることである。
人は恨みつらみを忘れません。そのため、どんな温情を与えて相手の恨みを緩和しようとしても、向こうはなかなか忘れてくれないものです。場合によっては、自分への復讐を誓ったりする可能性も……
そういえばドマイナーな話だが、側近を叱りつけたことで逆恨みされて暗殺された戦国武将もいたっけな……
好き好んで恨まれたり、特にそうすべき理由もないのに、ただちっぽけな自己利益のために人から恨まれる。これは、君主にとってあってはならないことなのです。
また、軽蔑も主君にとっては忌むべき敵。
自分を守ってくれない者や導いてくれない者に、人は忠誠心など抱きません。軽薄で優柔不断、そして器が小さく臆病な主君に、誰が忠誠を尽くすのかという話ですね。
鷹揚で器が大きく、畏敬のまなざしで見られる。それこそが主君の理想の姿です。
そんな姿を人に見せるため、自分の行いが偉大な物であり真剣な考えと意志の元で行われていると周囲に思わせる事が大事……というわけですね。