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【マキアヴェリ語録 政略編1】自衛の心得

 

 

 

ここからは、マキアヴェリの書籍でも、君主論ではなく政略論をメインにまとめていきましょう。

 

 

完全平和を謳い、殴られても殴り返さず慈愛を訴える組織とは、何とも美しいものです。

 

しかし、それは現実的ではありません。多くの人はそのような組織が力を持っていたら、利益やありもしない恐怖に釣られて何かしらの攻撃を仕掛けてくるでしょう。

 

当然、それでつぶれてしまうような組織では、そこに属する人々の幸せや平和は守れません。少なからず、自分たちの身を守る力が必要になってくるのです。

 

 

 

 

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守る戦いは正当化される

 

 

祖国の存亡がかかっている場合は、いかなる手段もその目的に沿っている限り正当化される。

 

 

自らや属する組織がその安寧を脅かされているのであれば、その排除は第一に考えるべきこと。これは、トップに立つ指導者だけでなく皆が意識するべきところです。

 

 

外敵による何かしらのアクション、あるいは内部の造反などが発生した時には、その排除が最優先。これらはダイレクトに集団や組織を破壊してしまうものなので、どんな手段でも用いて防がなければなりません。

 

危急存亡の秋、というやつですね。そんな大事な時に、正しさややさしさ、見栄えの良さで手段を選んで、結果として防ぎきれませんでしたでは意味がありません。

 

 

組織がダメになるかどうかの瀬戸際においては、余計なことを考えている暇はないのです

 

 

 

結果さえよければ、結局は周囲に支持される。

 

また、非常事態であれば、民主主義的な解決よりも権力者による独裁の方が素早く動けるし、その独裁者が私利私欲に引っ張られない限りは権力争いで面倒なことにならずにすむ


 

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権謀と断固たる態度

 

 

 

君主たる者、もし偉大な事業を成し遂げたいと思うのならば、人をたぶらかす技、つまり権謀術数を身に着ける必要がある。

 

 

 

偉大な前任者が作り上げた仕組みの維持だけならば必要ありませんが、自分で道を切り開いて小勢力を大きくしていくならば、人を操縦するための方策や騙すための奸計に頼る必要性は大きくなります。

 

 

まず、人々が求める指導者の形は強固な意志を持った人物像です。とにかく本気の目をして強く訴えかける人物に対して、人は指導者の器を感じるのです。

 

必要に迫られて行った選択でも「自分の意思で選んだ」というオーラを出すことも大事ですし、中立中庸で半端な意見や弱腰で無責任な態度を見せては、信望を失っていくのは明白。

 

例え実際は無責任で仕方なく行った選択であっても、まるで自分の大いなる意思で選んだかのようにふるまう事は、リーダーに求められるカリスマのひとつなのです。

 

 

とはいえ、決断というのも軽々しくできるものではなく、特に重要局面で情報不足のまま決断するのは危険。ましてや判断ミスや、即決のあまり準備不足で失敗などあってはならないことです。

 

そのため、上手く発生した問題を大きくしないための時間稼ぎや、毅然とした態度のままあえてやり過ごす選択をしてみるというのも時に必要になってくるのです。

 

 

そして、いかなる場合にも自分の尊厳を絶対傷つけない事と他人に恨まれないことも重要。どちらも失敗すれば自分を脅かす敵を作ってしまう事に繋がりますし、復讐心であれ軽蔑であれ、決して良い方向に物事が運ぶ要素にはなり得ません。

 

もしもの事など、起こらないほうが良いに決まっているのです。

 

 

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指揮監督の素質

 

 

優れた指揮官ならば、以下の事を実行しなければならない。

 

第一に、敵方が想像すらしないような新手の策を考えること。
第二に、敵将が考えるであろう策に対してそれを見破り、無駄に終わるように備えを完了しておくこと、である。

 

 

要するにマキアヴェリ流の戦争の仕方みたいな話ですが……この辺は孫子や呉子ともども、他者との競合なんかにも同じことが言えますね。

 

 

まずもっとも重要になるのが、競合相手が何を考えているのかを見抜くこと。法律で禁止されてなお産業スパイによる問題が根強い辺りからもわかる通り、相手の重要機密は、掴んでしまえば対策を立てるのは非常にお手軽。

 

ライバルとの闘争において、特に相手の顔触れや目標、ノウハウなんかの情報は、直接相手を倒すための武器になります。そのため、それらの目的がわかる人物は指揮官にうってつけ、というわけですね。

 

 

当然、産業スパイなんぞ放っては大問題ですが……動向や売り出した商品から目標を洗い出すような人物が無能であるはずがありません。むしろ、それこそが現場指揮や参謀にもっとも必要な素質なのです。

 

 

当然、敵に策を読まれるのもアウト。だからこそ、相手が予測することもできないトンデモな作戦であっさり目的を達成してしまうのも、指揮官の才能に大事な素質です。

 

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こんな指揮官任用はアウト!

 

 

一軍の指揮官は1人であるべきだ。

 

過去に徹底的に侮辱したり、手痛い仕打ちを与えた者を指揮官にしてはならない。

 

時代に合わせて行動できるか否かにかかっている。

 

 

指揮官任用としてもっとも危険なのは、一つの集団に指導者が2人以上いる場合。いくら優れた人物を任用しようと、指揮監督が2人いたのでは、現場はどう動くべきかで混乱します。

 

 

次に、過去に最低評価を与えて徹底的にこき下ろした人物を、いくら名誉挽回や円満退職に駆り立てるためでも指揮を任せては危険です。

 

彼らの多くは、汚名を返上するため、あるいはどうせ評価はこれ以上下がらないからと感じるため、基本的に一か八かの勝負に出たがり、悪い意味で怖いものがない状態。堅実な動きは期待できないでしょう。

 

 

 

そして最後に危険なのは、時代の流れに合わない人。

 

簡単に例を出すなら、時代錯誤のシステムや行動を強固に行う人。時代の流れと性格がマッチしているのならば問題ありませんが、その人の考えが古い、あるいは考えに時代が追い付いていないような人であれば、指導者になるには厳しいです。

 

昨今の問題に照らし合わせて言えば、「上手く行ったから間違いない」と意地でも体育会系の年功序列を押し通したり、家庭レベルだと「アレルギーは甘え」として孫をアナフィラキシーショックで死なせたり……こういう人たちに指揮系統を任せても、集団の動きはちぐはぐになるだけです。

 

 

生来の性格や過去の成功体験に逆らう事は至難の業で、前者ならば必ず不自然なものになり、後者であれば説得そのものが難しいのです。

 

 

 

また、時代錯誤な人間は運が悪い。時代の流れを感じ取って自分の行動を変えていくのは至難の業だが……少なくとも現場で指揮する人間には、時代にマッチした人間を選んどきたいな


 

 

 


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