【マキアヴェリ語録 君主編2】王の統制と秩序
君主の主な仕事は、領内の安定の維持。それは安定期が続いて形が出来上がればそれだけ難易度は下がりますし、逆にあるものを壊して新しい風を吹かせるのは難易度が非常に高いです。
時代とマッチしているか、民衆の願いと重ねることができるか、どこまで恨みを受けることなく自分の都合を通していけるか……
とにかく君主というのは見られており、その動きが国の明暗を分けます。そのため、単なる人気取りに終わるのではなく、さらに深い所までしっかりと物事を考える必要があるわけですね。
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世襲と新興君主
君主の中でも世襲のそれは、新たに興った君主国よりも維持する困難は少ないものである。
世襲制の君主は、基本的に前の君主の引継ぎなので、道ははっきりしています。就任と同時に、少しの力で地固めができるうちにさっさと足場を固めてしまう。後は不測の事態に備えつつ、敷かれたレールをしっかりと歩んで行けば、そこそこの力量があればどうにかなるものです。
難しいのは世襲ではなく、新体制をその国や領地で敷く必要があるとき。
新秩序を領内に敷く場合は、周囲の反応は良くて半信半疑。下手をすると敵だらけになることが予想されます。
というのも、前の態勢でぬるま湯に浸かっていた者たちは当然ながら敵になります。しかもそれで得する人たちも、結局は生ぬるい支持しかしません。
この生ぬるさの原因は2つある。第1は現体制を謳歌している者たちへの恐怖心であり、第2は異例の新しきことに対する不信感である。
立つかどうかもわからないしよくわからない制度には、人は希望よりも不安を見出します。その不安が上記の2つであり、失敗しても言い訳が立つ程度のことしかしてくれないのです。
結局、新秩序は自分の力だけで組み立てていくしかない。他人の支持が期待できない以上、他力本願な導入では障害に当たって脆く崩れ去るでしょう。
新君主のおきてとして、敵からの防衛手段を真っ先に整えるのが重要になってくる。
自分の身を守る軍事力、味方を得てからの密な連携。そして民衆からも敬愛と畏怖を同時に抱かれ、厳格ながらも丁寧、鷹揚な応対を心掛け、言う事聞かない奴や反乱分子は早めに処分。
周辺諸国にも連携と牽制のために仲良くし、新しい方法で秩序を塗り替え、何より手段を問わず勝利する。
人気に威厳に味方に……ゲットしなきゃやべぇ物ばっかりだ
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占領地の慰撫安定
他国を支配下に置く必要に迫られ征服には成功したにしても、支配を続けていく上での方策はケースバイケースであるべきだ。
これはまあ、現代では会社の吸収合併で取り込んだ子会社の監査取り締まりを行うときくらいの限定されたシチュエーションでのものですが……占領地をしっかりと治める方法は、その時々で大きく変わります。
マキアヴェリが例に出したのは、2通りのシチュエーションです。
1.自分たちの組織とだいたいの大枠が似たり寄ったりのケース
2.自分たちの組織とはもはや似ても似つかないケース
1の場合は、やることは簡単です。その組織で大きな幅を利かせるドンを無力化する。そして、その他の決まりや規則に余計な改変は加えない。
元々自分たちの組織と似通った理念や目的を持っているのですから、下手にこねくり回して余計な混乱を招く必要がないというわけですね。この場合、危険分子になりかねない権力者の処分だけで事が済みます。
しかし、指揮下に置いた組織が全然、何から何まで違うものだったら……これはもう、相当数の努力を積み重ね、その上でとんでもない幸運に恵まれなければ難しいでしょう。
こういう場合に必要になるのは、いざという時に迅速に動ける行動力を確保しておくこと。
例えば、占領地に国の首都機能を移すとか、移民共同体と重要施設を作って監視と団結を強めたり、あるいはいざという時に即時に巨大な力を執行する準備。
このいずれかの準備をしなければ、まったく方向性の合わない組織を取り入れるメリットはえられないと考えてよいでしょう。
また、何よりもっとも必要な心がけは、そんな万一の事態を起こさないうちから危険を摘み取っておくこと。
造反や不満が高じた反乱に後手で対応するのを良しとしていては、君主としては落第点。徳による懐柔にしろとことん攻め滅ぼす武断的対応にしろ、早めに不穏分子を処理しておくことがリーダーには求められるのです。
慈悲と冷酷
慈悲深い君主と冷酷な君主とどちらが良いかと言えば、冷酷さの無い思いやり溢れる君主ほどいい君主がいないのは当然である。
しかしこれも、下手に使う事が無いよう注意する必要がある。
冷酷か優しいかでいえば、おそらく冷酷な君主が望ましいと答える人はほぼ皆無と言えるでしょう。当然、国民に優しく慈悲深い人物であることは、君主に欠けてはならない大事な資質です。
……が、優しいだけでは何もできない。これもまた、道理というわけですね。
冷酷なまでに法を行使して不法を厳に否定し、力を持たない国民を外敵や無法者から守った君主。そして優しく慈悲を唱えるばかりに、弱者をいたぶる輩を罰することも外敵と戦う事も出来なかった君主。
どちらも実際に見かける歴史人物の顔ですが……こんな例になれば、だいたいの人は冷酷な君主を選択する。こういうことです。
だからこそ、リーダーは冷酷だの悪徳といった評に振り回されて善人面をすることに腐心しすぎてはダメ。人気取りは一定数必要な事ですが、まず見るべきは物事の本質と、それが自分たちの組織にどんな影響をもたらすかを考えるべきなのです。
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慈悲鷹揚な君主像が招く危険
君主ともなれば、自らに害を及ぼさないと鷹揚でいられない場合に、しばしば直面する。
君主というのは、だいたいの場合は鷹揚であることが大事。先述した通り、必要ならば悪に染まる必要がありますが、日頃からあくどい姿を見せていたのでは、民心を失うのは容易に想像できます。
というわけで、特に何かを成し遂げる途中であれば、余計に周囲の信望に気を使う必要があるのですが……それも「いついかなる場合もそうあるべきか」と言われれば、答えはNOです。
例えば、財政管理。みんなにいい顔をして財産をバラまいていざという時にお金が足りないから重税を課しますというのでは、さすがにお話になりません。
そうならないために、リーダーはある程度お金を出し渋る必要があるでしょう。
日頃の名声のためにお金をバラまいて、いざとなればその時の何倍ものお金を徴収する。これは君主がもっとも民衆から忌み嫌われるものであり、余裕があるときほど組織や国の財政はしっかりと管理するべき……というわけですね。
重い税金をかけて、略奪も働いて、領民からも攻める先からも嫌われる。これじゃ、日頃いい顔してたぶんが全部ふっとんじまうってわけだな。
とはいえ、だからといって「それなら日頃から極端に重い負担を背負わせれば普段通りじゃん」ってわけにはいかんぞ
愛され君主像の難易度
私は愛されるより恐れられる方が、君主にとって安全な選択であると言いたい。
愛されると同時に恐れられる。これは君主の目指す理想形態であり、もっともすぐれた為政者たちの姿です。
ですが、そんなもの、言ってしまえば天性の資質の問題。傑出したカリスマの持ち主ならばともかく、凡庸な君主では逆立ちしても不可能です。
とすれば、あとは愛されるか恐れられるかの2択ですが……この場合、恐れられる方が障害が少ないというわけですね。
人を動かす原動力としてもっとも扱いやすいのは、過去与えた恩義よりも罰せられる未来を見せる恐怖。
個人的な感情と命を両てんびんにかければ、ほとんどの人が後者を選ぶのが物事の道理です。だからこそ、愛されるよりも恐れられる方がやりやすくなるわけですね。
例えば、本当にお世話になった恩師と、逆らえばまず間違いなく一族郎党皆殺しにするような畜生外道。どちらかを今この場で、何の準備もできないままに裏切らなければならないとすれば、人はどちらを裏切るか。
この場合、たいていの人は恩師を裏切ります。裏切りたくないとどれほど思っても、自分の命の大切さには勝てません。
君主として最もマズいのは、誰からも軽蔑されて簡単に切り捨てられることなのです。