本を読めば自己肯定感が上がるとかいう胡散臭い言葉

  このエントリーをはてなブックマークに追加

本を読めば自己肯定感が上がるとかいう胡散臭い言葉

 

 

 

 

どうも、焦げまんじゅうです。

 

 

読書のメリットとしてよくあげられる物のうちの一つ、「本を読めば自己肯定感が上がるよ!」。

 

要するに、本を読んで知識をつければ自信が得られるし、その結果、自分で自分を認めてあげることもできるようになるというもの。

 

 

正直、私個人として眉唾な話ではありますが……とりあえずそのメカニズムを、私なりに解釈してお話していきましょう。

 

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

知識の多さは自信につながる?

 

 

 

 

 

 

要するに、こういう事ですね。本を読めば知識が広がる。知識が付けば自信がつく。知識を元に成功してさらに自信がつく。結果、自己肯定感が高まる。

 

 

 

世の中には小説だけでなく、ビジネス本やノウハウ本など、生き方や仕事の仕方など多岐にわたり様々な本があります。

 

で、ここでいう自己肯定感というのは、いわゆるノウハウ本なんかを読んだ時に得られる達成感と、そこで得た実用的な知識の事を指すのではないかと思います。

 

 

確かにノウハウ本や知識本は、その手の知識ややり方をある程度知り尽くしている人が、自己流のやり方をあれやこれやと(過去体験談の自慢も兼ねて)解説しているわけで、実際にそれらは成功への道筋の一つです。

 

とすれば、読んだだけで、数ある成功方法のうちの最低一つは実践することができるようになったわけですね。

 

 

あとはその通りに実践すれば、あるいは成功をつかめるかもしれませんし、失敗してもある程度のレベルにならいけるかもしれません。

 

 

 

理屈もわからん、やり方もわからんという手探り状態でやるより、ある程度の指標や道しるべがあったほうが成功しやすい!

 

まあ当然っちゃあ当然だわな


 

 

仮に何一つダメだったとしても、基礎の基礎……何かを始める第一歩の部分は他の人よりは幾分知ることができるわけですから、まあ読まないよりは読んだ方がマシというところもあるでしょう。

 

この辺りの差が、「その他有象無象とは違う」という確固たる自信を生み出すわけですね。

 

 

 

 

自信がついたからといって、思う成果が出るわけではない

 

 

 

 

 

さて、最初の方で、私はこのメリットを「胡散臭い」とか「眉唾」とかボロクソに言ってましたよね。その理由の一つが、これです。

 

 

そもそも努力だとか知識を得るだとか……たとえそれが寝ずの弛まぬ物だったとしても、思った通りの成果はおろか、自分の想像した通りの方向性で報われることはそんなにありません。

 

 

つまり、恋愛のノウハウ本で恋愛テクニックを磨いていたのに、身に付いたのは部下や同僚に、あくまで仕事上の仲間として慕われる方法ばかり。自身が報われたいと思っていた恋愛方面はからっきしで、むしろ頑張りそのものを「キモい」と否定され、逆に避けられるようになった……みたいな。

 

努力の成果というのは、案外こういうものだったりします。つまり、何かしらの成果は出るんでしょうが、報われるかどうかは、運だとか自分にマッチしているのかとか、そういう頑張りどころか、ひどいと自身の存在そのものに左右されない部分も必要になってくるのです。

 

 

 

最悪のケースだと、血のにじむような努力の結果得られたものが、「自分にはこの方法が向いていない」という確信だけとか……そういう事も結構あるからな


 

 

しかも報われない努力の怖いところは、原因が自分にあるのか単に合っていないだけかとか、あと別方面で成果が出ていても自分では気づきにくかったりとか……つまり、やれどもやれども一切報われず(あるいは別方面での成果に気づけず)、しかも正解も無いから結果として右往左往するばかり……というケースもしばしばなのです。

 

 

本を読んで、したり顔で努力しても、恵まれない時は恵まれませんし、報われない方法や事柄は報われません。そして、報われなければ自己肯定感も育ちにくいです。

 

 

「この本の作者は成功したんだから、私もこの方法で絶対成功できる!」そう思っていると、自身も自己肯定感も自尊心も、何もしないよりもさらに派手にへし折られてしまうでしょう。

 

 

 

 

 

知識による自身は増長を生むことも……

 

 

 

 

さて、自己肯定感が眉唾とかそういう話からちょっと逸れますが……知識を得たから偉いという思想も、個人的にはあまり歓迎したくない。

 

 

 

不思議なことに、知識であれ血統であれ成功体験であれ、自身の器からあふれたこれらの自信は、どこかしら歪んだ形で出てくるものです。

 

例えば知識面での話に限って言うと、どこかの文面やノウハウ本なんかの記述を持ち出し、さぞ「これが絶対だ」と言わんばかりに上から目線で力説し、最後の最後に「これだからアホは困る」というような文章をつけ足す輩なんかでしょうか。

 

 

歴史だとか哲学を引用する場面なんかは特に、こういう自分ルールや自己知識を絶対であるかのように誇示して他人を見下す輩が跋扈しやすいイメージがあります。

 

 

 

まあ、他人を攻撃して論破(笑)して回る奴は案外どこにでもいるけどな


 

 

 

知識とは自慢するために身に着けるのではなく、ひとつの問題解決法や、物事の勧め方というのは留意しておかなければなりません。

 

ひとつの方法を絶対としてそれ以外を感情のままに排除していくと、どんどん後戻りできなくなります。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

本で自己肯定感を得たいなら、ひとつの方法として捉えるのが良し!

 

 

 

結論を言えば、こういう事ですね。本を読み、実践し、万が一うまくいけば、それは自信につながります。

 

 

特に意外と尊敬されるであろう歴史関連(どこでも見かけるレベルは中国の三国志、戦国時代、幕末辺りか)などは、史書をある程度読み込むだけでそこそこの知識は得られたりはします。

 

 

自信のために本を読むというのも、なかなかハードルが高いとは思いますが……どうしてもという場合は試してみるのもいいかもしれませんね。


  このエントリーをはてなブックマークに追加

トップへ戻る