三十六計:第十四計 借屍還魂(しゃくしかんこん)

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三十六計:第十四計 借屍還魂(しゃくしかんこん)

 

 

言葉の意味

 

 

屍を借りて魂を還す

 

 

これだけを聞くと「蘇生術かよ!怖っ!」みたいな反応になってくるかと思われますが……実際にここでいう屍とは、古い体制や昔の偉人、保守的な常識の有効利用を指します。

 

元々は本当にオカルティックな話から来た言葉ですが、やはり血統とか権威、そして長年上手く行ってきた偉人たちの知恵というのは、実際以上に強い影響力を持つ場合が多いです。

 

 

悪く言えば、虎の威を借る狐が妙にやりにくい相手であるのと同じ原理。戦争は大義名分がないと悪党のそしりを受けかねないので、自分がいかに高貴で正しい人間であるかを証明する必要があったわけですね。

 

 

 

 

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語源・由来

 

 

 

さて、まずはオカルティックな語源から見てみましょうか。

 

 

この言葉の前提は、そもそも古代中国の霊魂観念にさかのぼります・

 

魂魄という言葉がありますが、古代中国における死とは、魂(こん:精神)と魄(はく:肉体)が分離することを指します。

 

 

この概念をもって、昔は魂を魄に戻す招魂儀礼(しょうこんぎれ)なる儀式が存在しましたが、この時になんと他人の肉体を利用して偉大なる師匠を復活させたという大馬鹿とんでもないことがあったらしく、これが借屍還魂の由来。

 

 

もっとも、聞くところによるとその師匠は幽体離脱の術を使っている間に勘違いから体が火葬されたというのが原因なのですが……なんにしてもはた迷惑な話であることに違いはないです。

 

 

 

 

要するに……

 

 

有用者 不可借 不能用者 求借

 

用有る者は、借るべからず。用うる能わざる者は、借るを求む。

 

 

しっかり自立した者を体よく利用するのは不可能。誰かを利用するなら、狙い目は何かに依存しなければ生きていけない人物。例えば生活を養ってもらっている人や孤立することを極端に恐れている人たちですね。

 

 

もっともらしい大義名分を掲げることは、こういった寄る辺も自己判断能力も持たない弱者を自らの味方に付けることと直結します。

 

要するに借屍還魂とは、古人の言葉や特に力を持たないものの影響力だけはある昔の制度を傘に、利用しやすい弱者を引き寄せてしまうみたいな意味合いが強いです。

 

現代の用法に置き換えて言うと「金稼ぎのコツは、偉人を傘に弱者を崇拝させ、彼らから金を巻き上げること」なんて感じの意味になりますが……端的に言ってクズですね!

 

 

とはいえ、人々の保守精神を利用した温故知新の呼びかけや昔からある制度の継続、大義名分などなど……これらをうまく使う者の影響力はバカになりません。実際、自分の意見を持たずに集団に帰属することと、こういう意見に流されながら生きることは、ある意味でイコールに近い関連性があります。

 

 

偉い人の言う事だから従い、昔の偉人の言葉だから無条件に信じ、どれほど腐り果ててもこれまでと変わらない大勢だから保守を選択し……実際、こういう人やこの手の選択をしてしまう場面って、結構ありふれてませんか?

 

 

 

虎の威を借るなんとやら……。今でも家柄や肩書、年収によって信じるかどうかを決める人は多い。というか、実際「何を言ってるかでなく誰が言ってるかが大事」って意見も、当たり前の価値観として存在してるよな。

 

この辺を見ても、やっぱり馴染みやすい場所やなんか凄そうなところから大義名分を引っ張り出すのは明らかな効果がある。

 

 

人間、バカの戯言にはそうそう引っかからんが、専門家(自称も含む)が「使い捨てにしてやる」とばかりに仕掛けたペテンには簡単に引っ掛かっちまうもんだ


 

 

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借屍還魂のペテンにかからないために……

 

 

 

まあこういった術策は上に立たない限り使わないことが多い(使う機会があっても使えば人間レベルが知れる)わけですが……やはり社会に生きる以上、利益を弱者から絞ろうとするペテンにある程度晒されながら生きていかなければなりません。

 

もう上記の文面で答えは出てますが……自分の意見をしっかりともつことが、ペテンに踊らされない最高の対抗策です。

 

 

 

自分なりの答えを出し、自分の足で進んでいく……答えを自分の中に強く持つことによって、人の意見に流される根無し草として使い捨てにされる危険は一気に減ります。

 

 

まあここからは個人的な意見ですが……自分なりの意見を持つための心構えは以下の3つだと考えます。

 

 

1.ある程度知っておく

 

2.自信を持って言える答えを、自分の頭で考える

 

3.筋を通す

 

 

やはり的確な答えを持つには、ある程度の知識が必要なケースがほとんどです。人生経験なんかはこの類いではありませんが、商売や宗教、セミナーなんかがこれにあたりますね。

 

特に上記のものは人を騙して洗脳することが効率のいいわけで、実際それを行っている輩もいます。その人が言っていることが正しいかどうかは、やはり自分の知識で判断する他ありません。そのため、ある程度知っておくことが大事なわけですね。

 

 

当然、知っているからと言って、その意見が他人の完全な受け売りでは意味がありません。他人の受け売りにしろ自分なりの言葉にしろ、やはり自信満々で言える答えを自分なりに考える必要があるわけですね。

 

 

あとは、筋をしっかり通す。考察や推察は場合によってコロコロ変わってしまうものですが、根本の軸がズレてしまうのでは、何を信じているのかよくわからないままになってしまいます。

 

しっかりと自分なりの筋道を持って、何事も自分で考えて決める事にしましょう。

 

何が起こっても自己責任という中で、他人の望む選択を自分の責任ですることは無いのです。

 

 

 

ま、とはいえ意見が強くなりすぎるとつまはじきにされる。逆に集団に帰属しようと思えば、迎合し自分の意見を持たないことがベストな答えになる。

 

バランスよく使い分けられる器用さがあればいいが……最悪、孤立と騙されまくる人生、どちらがマシか考えとく必要があるかもな


 

 

 


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