エニアグラムタイプ2:退行と統合

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退行と統合

 

 

 

 

タイプ2は、人に対してほぼ無条件で優しくできる稀有な存在です。

 

見返りは求めない。ただ助けになりたい。良くも悪くも自分を犠牲にしてまでも人の人生に生きたいというタイプで、人に見せる思いやりや優しさという観点では、他タイプの追随を許しません。

 

 

さて、そんな無償の愛を人に与え、慈しみ、包容して癒してあげるというタイプ2。その愛情そのものは無償ではありますが、当然、人間は完全な利他では動きません。

 

 

タイプ2のこういった行動には、「してあげた」という、ある意味のプライドがあるのです。

 

 

 

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ストレスを感じればタイプ8へ

 

 

 

タイプ2の囚われ・プライドは、一見すると親切心とは結び付かないかもしれませんが……「この人に必要とされている」というここのつながりに満足感を求めるタイプ2にとっては、強い拠り所になることも多いものなのです。

 

 

そのため、「この人は自分の事はどうでもいいんだ」という思いはタイプ2にとっては毒。せっかくの親切を無下にされたり感謝もされないとあっては、タイプ2はどんどん不健全な方向に向かっていきます。

 

 

 

そして不健全になったタイプ2は……表面上は真逆にも見える自分中心に立ち回るタイプ8のような特徴を表すようになります。

 

実は「してあげている」という気持ちは、相手を自分の下において保護してあげているという考え方に近しいものがあるわけですね。

 

 

これが健全化していくと、上も下もない平等な優しさに昇華していくわけなのですが……逆に不健全になるにつれて、相手を保護する/してもらうという二極の上下関係に固執していく傾向を見せるのです。

 

 

 

タイプ2の願望は、「恩義を通じて多くの人に影響を与える事」。つまり、不健全で人を信じられなくなったタイプ2は、恩を積極的に売ることで、それを手札として相手をコントロール下に置こうとするわけですね。

 

その上、センターが感情に向いており人の目を気にするようなタイプですから、いつしか本当の自分をも恩を売るために隠し通し、自他を顧みずお節介を押し付けてしまうようになります。

 

 

そして、それでも認められないとなると……最後に残った手段は陰口と個人攻撃です。「色々したのに見向きもしてくれない」とあっては、最終手段として力づくで服従させようとしてくるわけですね。

 

その上で訴えかけるわけです。「誰がお前を保護してやっているのか」と。

 

 

元々自我の強いタイプでありながら人のために生きてしまいがちなので、その反動として自我が出てしまったときが怖い。それが、タイプ2の抱える闇なのです。

 

 

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統合:タイプ4へ

 

 

 

さて、タイプ2は健全になるにつれ、どんどんタイプ4のような特徴を持つようになっていきます。

 

 

タイプ4は「人に優しい」という共通点を持ちながら、焦点は自分を中心に向いている事が多いタイプ。これと同じように、人にはしっかりと優しくしながら、しっかりと自分の気持ちに焦点を向けられるようになるのです。

 

 

こうしてしっかりと自分の本音と向き合い、解消していくことで、自然と心にも余裕が生まれていくのですね。

 

 

 

余裕が生まれたタイプ2はとんでもない人たちです。

 

タイプ4のような創造性と「自分にだって必要な物があるんだ」という確固とした自己主張を備える強くて深い人でありながらも、人には優しく寛容で、しかも恩義を押し付けない。

 

歴史上の聖人を彷彿とされる人物へと変化していくことができるのです。

 

 

 

まずは自分に課した「人のために生きる」ルールの、ほんの一部から考え直してみませんか? 自己表現の場なんかがあると、このタイプにとっては非常にいい気づきの練習になるはずです。

 

 

 

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統合への道

 

 

 

さて、ではそんな「多くの人から愛される聖人」になるために心掛けるとよさげなポイントを、ちょっと洗い出してみましょう。

 

 

 

 

・皆に好かれるのは不可能と知るべし!

 

・自分と他人は別の存在。まずは自他の心に境界線を引くべし!

 

・意外と相手も自分を必要としてくれているのかも?

 

・もっと自分に正直に!

 

 

 

はい、「多くの人に好かれる」という目標から真逆につっきちゃってるような言葉を最初に述べてしまっていますが……。

 

人間ってのは自分勝手な物で、何がどうあっても絶対にあなたを嫌う人っているんですよね。嫉妬なのかほっといてほしいのか、はたまた生理的に受け付けないのかは知りませんが。

 

で、そういう人や「利用して使い潰してくれるわ」なんてゲスな考えを持っている人にも、タイプ2はついつい手を貸してしまいがちなのですね。

 

 

あるいは、人を助ける過程でついつい深入りしすぎてしまい、おせっかいに思われてしまう事もあるかもしれません。

 

 

 

そのため、急務は「自分の心に正直になってみる」ということと、「他人との境界線をしっかりと引くこと」になります。

 

まずはしっかり唱えてみましょう。「人は人。自分は自分」。

 

 

その上で、自分の気持ちにもしっかりと焦点を当ててみるのです。

 

他人の機嫌ばかりを伺ったり、自分にとって大事な物を人のために捨て去ってしまったり、見返りや感謝を相手に求めてしまったり……こういう時こそ、自分の気持ちに正直になってみることが必要になるわけですね。

 

 

もしも相手が安易に助けを求めている時や、自分のポリシーに反することをやらされようとしている時……こういう瞬間に「NO」と言えれば、随分と人生の模様も違ってきます。

 

 

 

 

こうしてしっかり自他や自分の気持ちを把握できるようになったら……今度はもう一度、他の人を見てみましょう。

 

あなたが優しくしたあの人は、あなたをほめてませんでしたか? 喜んでませんでしたか?

 

 

ほめ言葉に対して「とんでもない」と謙遜するのは美徳ではあるかもしれませんが……たまには「ありがとう」と素直に受け取ってしまいましょう。
大半の人は、あなたくらい他人に関心を向ける事って実はないんですよね。しかしそんな中でも、助かったときは素直に感謝の意を示す人、案外少なくないのです。

 

 

「自分は人から何を受け取ったか。助けたことでどう思われたか」。この辺は確かに気になる部分ですが、深読みしすぎていいことはないです。

 

ちょっと抽象的で難しいですが……相手から何をもらったかに気づけるようになれば、「愛されている」としっかり認識できるようになるはず。

 

 

 

聖人君子とは、必ずしも他人のために自信を犠牲にしている人物でも、全ての人間に絶対に好かれている人でもありません。

 

不思議なことに、自身を強く認識し、自身のやりたいことや信念を自覚することが、本当の意味で優しい人につながる道なのです。


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