囚われは「怒り」
タイプ1にとって、世の中とは正しくあって然るべきもの。
そんな理念のため公正公平を常に心がけ、社会がそうでなければ、自分で是正せねばという強い正義感を持って行動するわけですね。
そんなタイプ1の囚われは、「怒り」。
正しくない物、あまりに曖昧な物、不公平な物……正義と理念にそぐわないものに、タイプ1は強い怒りを溜め込んでいきます。
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欲求不満の向かう先
タイプ1の怒りは主に、自分の理想に従わない人……一例を上げれば、みんなで一緒に頑張ってる中でひとりだけサボっていたり、自分一人が幸せになるために他を不幸に追い落とそうとしたり、そんな人たちに向けられます。
そして、怒りを覚えれば覚えるだけ健全度はどんどん下がり、タイプ1は自分の理想にしがみつくようになっていくのです。
基本的に怒りは表面に表しづらいタイプ1ですが、こうやって怒りが蓄積していくとどんどん感情的になり、口うるさくネチネチ相手を責め立てる、いわゆる「面倒な人」になっていってしまうわけですね。
さて、怒りと聞くと、常に怒鳴りつけているような危ない人を想像してしまいがちですが……このタイプ、なかなかどうして寡黙な人も多いのが特徴。
自分が怒りを感じやすい分「怒りは敵」と思い感情を抑え込むことが多く、基本的に不満が無ければ物静か。不満を周囲にぶつける時も、あまりきつい言葉を使おうとしません。
「怒ってない! 正しくやろうとしているんだ!」
とまあ、彼らの言い分はこんな感じでしょうか。
純粋に周囲を是正しようと思ってるだけだと思っているわけですが……それでも、それらが上手く行かない怒りはどこかで溜まっていきます。
それらが偏狭さや厭味、あるいは偏見という形で表に出始め、不健全になるにつれて膨れ上がっていくのです。そして最後には、自分だけに特別ルールを課す形でそれらを壊してしまう恐れもあります。
理想も基準も、人が倫理的に生きるためには必要な物です。が、行き過ぎれば自分も他人も追い詰められる一方。弱みを見せられる人をきちんと作り、その上で一呼吸おいて相手の価値観にも耳を傾けてみましょう。
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健全度による違い
レベル1 | 「自分が常に客観的で公平な人間である」という思い込みを捨てると同時に、誠実で善良な人柄が表面化。
その崇高で高潔な人柄はそのままに、受容的な姿勢と物事を楽しむ度量を身に着ける。余裕ある破格の人格者。 |
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レベル2 |
「客観的で節度、思慮がある」という自己イメージの元、その実現に向けて邁進できる。
無意識的良心の塊にして、よき人生の指導者。崇高な聖人。 |
レベル3 | 自己イメージの強化段階。大義、目的のために自己の欲求を側に置き、自身の理想に向けて倫理的かつ明確に行動する。
責任感ある高潔な人柄。 |
レベル4 | 高潔な人柄であると同時に、「人が自分の理想に興味を示さないのでは」という一抹の不安を抱く。
真面目で公正、ストイックな努力家。しかし同時に自分の理想のために他人を説得し自分の意見を正当化させたいという欲求もどこかで持ち合わせ、周囲を独自基準で評価し始める。 |
レベル5 | 自分の視点や理想へのこだわりが大きくなる。完璧主義的でストイックな努力家なのは違いないが、融通は利かない。
そのため自分の価値観に沿った生き方以外をするのが非常に難しくもなる。
几帳面だが、緊迫状態でイライラすることも多くなる。 |
レベル6 | 自分の良しとする秩序とバランスを他人に踏み荒らされるのではと極度の不安に陥る。 本格的に攻撃的、批判的になり、自他に対して極端に厳しくなってくる。
排他主義的で、自分の基準に合わない、気に入らない人間は排除隔離。皮肉屋にもなる。 |
レベル7 |
自己イメージに内心自信がなくなってしまい、そのせいでより頑固に。「自分の意見は正しい」と必死に自他に言い聞かせるようになるため、さらに独善的、排他的に。
自分の意見に完全に囚われ、少しでも異議を唱えるならばそれを封殺。妥協も交渉も一切の余地がなく、厭世的。辛辣な皮肉や相容れない意見への攻撃を繰り返す。 |
レベル8 | ここまで追い込まれてしまうと、もはや自己の理想などどこにもない。「クソッタレで非寛容な世の中」から我が身を守るのにいっぱいいっぱいである。
抑圧された欲求が暴発して刹那の快楽や禁断のお遊びなどに走って自己破滅的になるが、他人には極端に高潔な理想を押し付けるという矛盾に陥る。他人をコントロールしないと落ち着かない。 |
レベル9 |
もうだめだ、おしまいだ。「駄目だ」と抑圧してきた自分の欲求に、あろうことか自分が負ける。これがタイプ1には何にも耐えがたい苦痛である。
しかし自力で立ち直るのは到底不可能。自分をダメ人間に堕落させたと思うすべてを取り除こうとヤケになり、ひどくなると自殺や自傷行為を繰り返すようにもなる。 |
高潔にしてストイックな生き方というのは、何かと負担がかかるもの。しかも自分で表に出すことも無く、誰も気付かぬ間に余計な重荷まで背負ってしまう事もよくあるのです。
特に周囲もろくにサポートせず、自分でも気づかずにズブズブと沼にはまると、こういう感じでどんどんドツボにハマっていくわけですね。
「自分が全部背負ってしまっている」
このキーワードが頭に浮かんだら、一度深呼吸して考え直してみましょう。
自分一人でできる事なんてたかが知れています。とすれば、必然的に狭い範囲での活動に抑えるか、他の人にも役割を分担するか。この2択が理想実現のための一番の近道です。
もっと周囲を頼りましょう。責任を分担すれば、そのぶん出来ることも多くなりますよ。