【マキアヴェリ語録 君主編3】尊敬される君主の演出法

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【マキアヴェリ語録 君主編3】尊敬される君主の演出法

 

 

 

リーダーというのは嫌でも周囲から注目され、良くも悪くもその動向は周囲に影響を及ぼします。

 

当然、非の打ち所がない完璧超人である必要はありませんが……場合によってはそのような傑出した人物を演じる必要性が少なからず出てきます。

 

 

いわゆる、人心掌握の一環ですね。

 

今回は、自身を「尊敬される主君」としてプロデュースするための方法を記した語録です。

 

 

 

 

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主君最大の御法度

 

 

 

君主にとっての最大の悪徳は、恨みを買う事と軽蔑されることである。

 

 

 

恨みと軽蔑は、どちらも内側に敵を作る直接の原因になり得ます。深い恨みを持つ相手には絶対復讐しようとしますし、自分よりもはるかに劣る者を君主に仰ぎたいとは考えません。

 

ですが逆に、この2つをクリアできれば……その時は、君主としての道もだいたいの場合は安定するようになります。

 

 

恨みを買わないためには、相手の持ち物や立場を奪わなければいい。君主が勇敢で意志が強く偉大であれば、無暗に逆らおうとする人は大きく減ります。

 

これらができていれば、少なくとも内部がやたらと敵だらけになることはないでしょう。

 

 

ただし、必ずしも正しい行いをすれば、それが恨みに繋がらないかというと、そうとも言えないのが現実です。

 

常に考慮しておくべきことの1つは、人の恨みは悪行からだけでなく善行からも生まれるということである。

 

 

最近声高に主張している人も少なくありませんが……余計なお世話だとか状況を逆に悪化させるお節介だったりとかが、これに当たりますね。

 

この手の恩は、基本的に仇としてしか返ってきません。リーダーという立場は、こういう所まで考慮して動かないと組織を回しきれないのです。

 

 

 

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尊敬を得る方法

 

 

まず第一に、大事業を行い、前任者とは器が違うところを人々に示すことだと私は言いたい。

 

第二に、敵味方に対する態度の違いを、明白に分けて示すことだ。

 

 

この2つの方法は、現代でもカリスマ性の磨き方として、いろんなところで言われていることですね。

 

 

大きなことを成功させると、人々はあっけに取られてそれしか見れなくなり、いつしかその成功実績が周囲の羨望や尊敬に変わります。

 

 

また、人はハッキリしたわかりやすい態度に好感を覚える傾向があるのも事実。勝ち負けに関係なく、人は半端な態度を他人に許さないという傾向があります。当然、君主ならばなおの事。

 

 

とはいえ、やはりこれらをスパッと行うのは難しい。マキアヴェリもそれは言及しています。

 

スパッと決めてその通りに行うだけでは、別の問題が出てくることもあります。そのため、よく考えて問題の外郭や性質を掴み、よりよい選択肢を生み出そうとすることも大事になるのです。

 

 

 

当然だが、功績を残した人や自分にしたがってくれる人をきちんと立ててやるのも大事だぞ。

 

 

功績のある人物を賞与しなかったり国民を不安にさせていたのでは、人の心はどんどん離れていく。

 

国民に重税をかけて財産を取り上げたり、褒賞をケチるようになったら……そこから少しずつ国や組織は崩れていくぞ


 

 

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本当に良い側近はなかなかいない

 

 

 

側近に誰を選ぶかは、君主にとっては軽々しく考えて良い事ではまったくない。

 

 

一組織のトップに立ったからには、媚びへつらうばかりで正しい意見を言えない輩からは逃れられません。

 

そして厄介なことに、こういった連中の言葉は自分にとって何とも心地よい麻薬のようなもの。一度その言葉に気を良くすると、深みに嵌っていくのはある意味仕方のない事です。

 

 

しかし人を率いる器というのは、こういった媚びへつらい自身におもねる者をどう避けていくかでも試されているのです。

 

 

側近に有能で誠実な人材を配置すると、やはり組織は上手く行くことがほとんどです。が、ここで媚びるだけのイエスマンばかりを側近に固めてしまうと……組織作りの初歩でつまづいたと言え、組織の維持は至難の業になります。

 

 

マキアヴェリによれば、人の頭脳は3種類あるとのこと。

 

1.物事を自力で理解できる

 

2.他者が理解したことを鑑識できる

 

3.自力理解も他者の言葉の鑑識もできない

 

 

言わずもがな1がもっともすぐれた人物ですが、まあこんな人はなかなかいません。とすれば、普通は2か3で選ぶのですが……3はもう、はっきり言って無能。側近にすべきでないのです。

 

むしろ「無脳」なんて言葉まで使おうとしている辺り、マキアヴェリのその手の人物への憎悪が伝わってくる気がしますね……。

 

 

 

都合のいい言葉しか受け付けない君主はどんどん羽目を外してしまうし、かといって誰でも好き勝手に意見が言えるのであれば、どいつもこいつも自分の利益でしか物を言わずに組織の崩壊は免れない。

 

そこで、「自分に自由な意見を向けることができる」限られた人物に側近を当てるわけだな。

 

当然、判断するのは君主である自分じゃなきゃいかんが……側近ってのは「自分絶対主義でも風通しがあまりに良すぎてもダメ」という威厳の天秤を絶妙なバランスで支えてくれる存在でもあるんだぜ


 

 

 

当然ながら、側近の意見は必ず従うべきというわけではありません。側近も人の子。自分の利害で物を言う事もあるでしょう。

 

人は必要に迫られたからこそ善人になるのであって、そうでなければ悪に傾斜する。

 

当然意見はしっかりと聞くべきですが、その意見をしっかりと吟味して事の善悪を決めるのは君主、リーダーにしかできません。

 

結局のところ、有能な側近も有能な君主の元でしか役に立たない。つまり、君主自身が優れていてきちんとした助言に従うことができるのが、もっとも国益にとって重要な事なのです。

 

 

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嫉妬が組織を狂わせる

 

 

人とは心中に巣食う嫉妬心によって、褒めるよりけなすほうを好むものである。

 

 

特に共和制のような体制などでトップの権力が弱い場合に起こり得る話です。

 

大きなことをするときは、何よりもまずトップの一存で自由に動ける可動範囲が大事になります。が、そのためにトップの権力を増強しようとすると、だいたい決まって邪魔が入るのです。

 

マキアヴェリは、この時の人の心理を「嫉妬心によるものだ」としています。

 

 

この妨害を抑えるために、マキアヴェリが唱えた方法は2つ。

 

 

1.人々の危機意識を煽る

 

2.いっそ始末してしまう

 

 

人々は、危険意識を持つと仲間を探し出そうとします。そのため、その事業を行わない時の危険を事細かに説明し、相手の危機意識を高めるのは効果的な方法です。

 

危険と不安でいっぱいになった人はそれを解決してくれそうな人に寄り添うようになり、嫉妬なんてどうでもいい感情はひとまず脇に置くのです。

 

 

 

もう一つは……もう直接的な方法ですね。この当時のやり方だと、処刑です。殺します。現代でやるなら、干すとかそんな感じになりますかね。

 

どうしようもない奴って、やはりどの時代でもいるんです。危機でも何でも、とにかく気に入らないから潰す……みたいなの。そういう話にならないレベルの相手は、やはりまともに応対するのも難しいと言えるでしょう。

 

 

こういう謂れのない悪感情は善行を積めばわかってくれて無くなっていくなんてのは、やはり幻想です。

 

直接的な対策を講じてそういった芽を摘み取っていくしか、方法はないのです。

 

 

 

 


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